マウント取らせたもん勝ちにさせると社会は崩壊する💢その根拠と成立ち、危険性に気づこう!
マウント取ったもん勝ちの世界を想像してみてください。
例えば、怠け者の息子が自分の権利だけを主張して働かず、親の世話になるために「育て方が悪かった」と毒づけば、親は屈服してしまう。さらに彼は暴力によって要求を加速させる。失意によって亡くなった親の年金を詐取し犯罪者となる。
というように、マウントを取るのは「誰かに自分のことをやらせよう。」とする息子の依存と「息子には私が必要」だとする親子のマウントの取り合いが悲劇を生む。
が、時間は有限だ。加齢によりマウントの取り合いに幕が下りる。
そして、「何も残らない。」現実だけが目の前にある。
この「The mount people」の教祖こそが、共産主義の生みの親であるカール・マルクスである。
人間の運命は、「思考」の元である「動機」によって決定されます。
マルクスは、動機とはいったい何だったのでしょうか?
最初は、親の代からのキリスト教信者でしたが、ある時期、キリスト教を棄教します。
カネの無心ばかりしていた生活破綻者のマルクスは、自分の思い通りにならないのを神のせいにして、神に復讐を始めます。
ここまで書いて、マウント取るやつの心理がわかりましたか?
言うこと聞いてくれないと、暴れちゃうよ~というのが根底にあります。
この精神を社会にマルクス主義としてまき散らしました。今から120年ほど前から。そうして、上から目線で次々と人間を征服していくやり方が労働者階級にも広まっていきました。この種は、創価学会の「折伏」というやり方の原型にもなってますね。信者になるまで徹底的に詰めるという訳です。
そうやって奴隷化させてしまい、どんな政策でも通す「公明党」という巨大組織を作り上げることに成功します。公明党と中国共産党が仲がいいのは「同じ穴のムジナ」だからなんですね。
だからもめ事を起こすのが嫌だから自分が我慢したらいいということで、放置する、言いなりになる、避けるなんてことをしていたら、どんどん国ごと征服されてしまうことになるんですね。
マウント取ってくる人間の中の「恐れ」を見出し、自分が優位に立つ方法については100円の有料記事で取り扱っていますので、ぜひ、参考になさってください!あなたの弱気が大ごとにならないように破壊してしまいましょう!
こんな奴に注意!
【伝説1】お手伝いさんをはらませたのに、親友のエンゲルスの子だと思わせていた
マルクス家に長年仕えたメイドのヘレーネ・デムートに男児を産ませた。だが、周囲はエンゲルスの子供だと思っていたという。
「ひどいでしょう。だから、マルクスの娘は『エンゲルスおじさんってひどい人』だと思っていたようです」(池上氏)
【伝説2】カネの無心ばかりしていた
極貧生活を送ったが、工場主の子息であるエンゲルスから仕送りを受けていた。
「マルクスがエンゲルスに宛てた書簡では、しょっちゅうお金をせびっているんです。当時としては相当な金額で、けっこう、ぜいたくな暮らしをすることができるほどだったのです」(池上氏)
【伝説3】趣味は批判! 面前でも文章でも罵倒しまくり
マルクスは意見の異なる者に対しては徹底的に侮蔑し、批判した。
「自分に近い立場の人にも容赦なく批判をするんです。彼が書いた書物もそうなんですね。えげつないくらい罵倒する。彼は『自分の趣味は批判だ』みたいな言い方もするぐらい。だけど、それは自分の理論を鍛え上げるためのひとつのプロセスでもありました」(明石准教授)
【伝説4】生涯の半分を亡命者として過ごした
1818年5月5日、プロイセン王国に生まれた。父はユダヤ人弁護士、母もオランダ出身のユダヤ教徒だったが、マルクスが6歳のときにプロテスタントに改宗。のちに、大学での教職を断念したマルクスは「ライン新聞」に入ったが、言論弾圧で妻とともにパリに。
パリも追放され、結局は終生の地・ロンドンで1867年、『資本論』第1巻を刊行した。1845年に故郷のプロイセン国籍を離脱して以降は、無国籍者として64年の生涯を終えている。
【伝説5】酒好きのヘビースモーカーだった
ボン大学時代は酔っぱらって1日禁足処分を受けるなど酒が過ぎ、父によってベルリン大学に転学させられた。家計のために、安物で質の悪い葉巻を吸っていた。
【伝説6】妻は貴族の娘だった
貴族の娘である4歳年上のイェニーと1836年に婚約した。イェニーの兄など、親族からの反対は多かった。マルクスは反貴族主義者だが、妻が貴族出身であることは誇りだった。
【伝説7】膨大な読書量だったが、文字はヘタ、計算ミスも多かった
「読書量がすごく多くて、読んだ本のポイントなどを、自分のノートに書き留める『抜粋ノート』を作っていました。当時は紙は高価ですから、小さい字でノートにいっぱい書き込んでいました。ただし、几帳面ですが汚い字です。また、じつは計算ミスはしょっちゅうしているんです」(明石准教授)
【伝説8】好きな色は「赤」だった
当時、イギリスで流行していた遊びのなかで、娘たちの質問に「赤」と答えたという。
【伝説9】2男4女をもうけるも「不幸な別れ」ばかり
6人の子供をもうけたが、病死などで、成人したのは3人の娘だけだった。晩年は妻と長女に先立たれ、マルクスの死後、残った2人の娘はそれぞれ自殺している。
末路は破壊、チャン、チャン(笑)
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