村瀬嘉代子先生へのお手紙

お久しぶりです。

先生もついに公認心理師認定のトップに立つ役職から身を引かれたご様子ですね。

私は公認心理師ではありませんが、その貢献の責務をお果たしになったご苦労に感謝申し上げます。

私自身はと言いますと、福岡市で開業したのですが全然経営的に成果が上がらないままになり、開業という形での収入を得ることをとりあえず諦めました。

そして心理職ではない企業への就職活動を始めました。

一旦心理職になってしまうと、潰しが効かないと言いますか、一般企業では「住む世界が違う 」としか見られないことは当然予想できたのですが、でっち上げた経歴にしてしまっても面接でどうしても見透かされるわけで、とりあえず大学学生部の職員をしていて学生たちの相手をしていたということに履歴書の上ではしてみました。

しかし福祉関係を含めて、7社連続で落とされるということになりました。

(どういう 勤務先なのかはここでは省略)

実は心理職であったことを明かしてしまっても、そのことは全く気に止めない扱いで採用していただきました。

ただしこのことは上司グループしか知らず、同僚には秘密。

私の本名でネット検索をかければ本は数冊出していますからバレバレになってしまうはずなのですが、就職して4ヶ月の現在まではそういう奇特な社員が現れていないようです。

もう採用されてしまった後ですから、今更気づかれても特に問題はないと思いますが。

20人ぐらい同僚がいる組織の中でパソコンに向かってマニュアル化された段取りで進める職務なのですが、ノルマがないものの明らかにケアレスミスが多く、後で入ってきた社員に簡単に追い抜かれています。

そして忘れ物がむやみと繰り返されるようになりました。

これは齢を取ったからというだけなく、何か変だと感じ出しました。 

自分の生育歴をふり返ってみますに、子供の頃は天真爛漫で誰にでも声をかけしゃべくりまくる人間だったわけです。

それが気に障ったのかいじめを受けるようになりました。

このころから内向的になりました。

そして忘れ物の常習犯。教師に教室の後ろに立たされてばかりとなりました。

授業中も内容がつまんないと思うと寝てばかり。

数学のような集中力が必要な科目になると全然自分から努力しないんですよね。

興味を持った科目だけを好奇心のままにやっていたらあっさり結果がついてきてしまうという具合いで。

大学院に入ってからも、人との取り方がよくわかってない。

空気を読まない。

その後経験を積むうちに相手の気持ちを読み取って適切な距離感を見いだすようになっていったという感じです。

これはやはりADHD だったのではないかと思うようになり、医者に ADHD の薬をもらうようになったのですが、これは覿面に効きました。

一気に仕事ができる量が2倍になったのです。

ところが忘れ物をしまくる傾向がむしろ極端になり、この2.3週で5回も警察に届を出すという具合。

そして左腕を中心とする痺れや痛みがひどくなり神経内科を受診するようにもなりました。

集中できるということが裏を返せば相当なストレスと消耗にもなっているのだと思います。

いずれにしましても、上司を含めて同僚は私よりずっと若い人たちばかりなんですが、どこまで自分から話しかけていいのか、話の輪にどれくらい入っていいのかについては、我ながら絶妙な距離感と駆け引きができていまして、みんなと仲良くやっております。

それが大変心地よいのですね。

やっと「普通の人間社会」に溶け込んだ という感じで。

挫折ではなく、新たなステージへの前進だと感じています。

私は大学院に入った時から、カウンセラーという人種の放つ匂いに常に独特の違和感を感じていました。

バイトとかの社会経験もなかったのに、なぜかそう感じていたのです。

極端に言えば、顔つきや服装からも感じたわけですが、表面では優しく受容的であるかのように見えて、腹の中では何を考えているかわからない。

どんな陰口を言われているかというか、ある日突然村八分にされるという感じで、傷つけられたことは何回もあります。

問題点があるなら率直に言ってくれればいいのに。

お前らカウンセラーしかできないからカウンセラーやってんだろうと思うくらいでした。

そういう意味では、私は今、結構すごいことをやっているんじゃないか?

とにかく一般社会人になったということが非常に心地よいのです。

週5日の勤務で非常に規則的ないい生活リズムも得れました。

母の99歳での死を迎え、部屋があまりにも多い生まれ育った家を家財道具を思い切って整理して結局出てしまい、今は職場近くで特急停車駅そばのワンルームマンションで、部屋も非常にシンプルに整理整頓された中、のびのびと暮らしております。

私のこれまでの人生の中で一番充実しているとすら感じています。

もちろんこうした社会経験を経て、副業としてでいいからカウンセリングも復活したいとは思っています。

先生からはかつて電話でご相談した時に、

「やりたいことではなく、やれることをやりなさい」

という言葉をいただきました。

厳しい言葉だと感じましたが、今はそれをやれているわけです。

以上のことをどうしてもお伝えしたくなってこうして筆をとりたくなった次第です。

さて、臨床心理士と公認心理師の関係については、ネット上でも軋轢が生じております。

臨床心理士は公認心理師をレベルが低い存在として低く見る傾向が強いです。

特にGルート出身者への風当たりが強い。 

私はGルートというのは、実は臨床心理士よりも実力がある各分野の現場での「雑草」的経験を持つが、専門的カウンセラーになる可能性がある人たちをすくい上げる制度じゃなかったかと思っております。

そのようにして業界に刺激を与え活性化するためではなかったかと。

いかがでしょうか。

臨床心理士の世界では、未だに狭い意味での心理療法の研修を中心とした純粋培養的な教育がなされており、社会に様々な形で浸透していくスキルの蓄積に欠けていると思います。

このままでは臨床心理士の業界に大きな壁が立ち塞がることは確かだと思います。

先生もそのようにお感じなのではないかと思っております。

先生におかれましても、これからは健康にお気を使いになって、末永く静かな日々を送っていただければと思っております。

敬具




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