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暮らしの中のわたしと社会

最近思う。
もう余分な事、苦痛を伴うものに時間を割きたくないと。
苦労をしたくない訳ではないし、まだまだ悲しいけれど未熟な自分だ。努力、向上心、好奇心はきっと生きてる以上続くと思う。
ただ、必要以上に虚勢を張り、背伸びをして、自分の中にない「似非正義」で語りたくない、そう思う。

今日Facebookでこの記事を読んだ。

大学まで出ても、考えたことがほとんどない人々の運命:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

2019年に書かれた古い記事であるけれど、「自分で考え失敗することで、人はひらめき、成功にたどり着くことができるのです。

この最後の一文が胸に響いた。
その後夜に、ChatGPTについてのライブ配信を8bitNewsで視聴して、
(ああ、この記事はその事を当時から言っていたんだな)
そう感じた。

ChatGPTはOpenAIが2022年11月に公開されたばかりの人工知能チャットボット。その進化のスピードは凄まじく、どんどん映画の中の夢の世界が現実化をしている。
でもそんな時だからこそ、リアルな感覚や体験は貴重で、人として無くしてはならない、過度なデジタル依存症は危険だし、恐ろしい。
デジタル、機械と上手く共存する事こそ、今の私達に必須だと思えた。

だからこそ、自分で成果物を判定したり、フェイクニュース等を判断できるための「学び」が大切で、以前からの自論ではあるが、「そのための高等教育の学び」なのだと。
「学ぶ」事の本質は、学び自体が、「自分らしく頭で判断する」為の根幹をなす土壌であり、栄養や、潤う為の水だと思う。

機械が人口知能をもって、人を支配する「ターミネーター」「PSYCHO-PASS」等の世界の行きつく先は、管理社会であり、ある種の牢獄かもしれない。だからこそ、機械に支配されないように、目の前にあるスマホで気軽に検索するのではなくて、本等のアナログでも知識を得たい そう思った。

余白のある時間を作る為に、仕事と家庭以外の時間をスマホや動画やコンテンツに費やしすぎるのを辞めよう、そう感じてる。

時には、ベランダでもいいから、外の自然光を浴びつつ、静かな時間を作りたいな、そう思う。
日々のニュースは大事だし、政治も大事だ。
でも過度にニュースや政治に反応せずに、日常の営みを大切にしたい。

積読の本も沢山昨年から溜まっている。
青空の下で読書や音楽を聴くのもいいね。

、、、と言いつつ、この歌の主題歌だったアニメも漫画も大好きだった笑


※因みにトップの写真は我が息子です。
親バカだけど、可愛過ぎる🫶

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