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HSPのやつだいたい友達

HSPという「気質」についての説明は、今ここでわたしが書く必要は特にないだろう。
けっこう知られている概念だと思うし、ぶっちゃけまとめるのがめんどくさいので割愛する。
気になる方は各々ググって欲しい。

これについて初めてきちんと知ったのは、おそらく20歳くらいの頃だったと思う。
大学1年生の終わりの春、東京に帰省(編入前の大学は関西の私大だった)していて、ひさしぶりに中高の友人と会って新宿ルミネのレストランで昼飯を食べていた。
彼女もまた、他人に心を打ち明けることがあまり得意じゃないタイプで、なんかそういうところわたしたち似てるよねえという話をしながらオムライスをつついていた。

そのときにふと彼女が、「ねえ、HSPって知ってる?」と訊いてきた。
名前だけは聞いたことがある、と答えると、彼女は「私たぶんそれだと思うんだよね」と言った。
その場で話しながらiPhoneで調べると、HSPについて詳しく説明しているWEBサイトが出てきた。
わたしはHSPの概要をさらっと読んでから、すぐにウインドウを閉じた。
そしてその日彼女と別れてからも、その後何年間も、HSPについて詳しく調べることをしなかった。

その話を数年後――去年くらいに別のHSPの友達にしたら、「そういうところがなんかもうすでにだいぶHSPっぽいよ」と笑われてしまった。
いやまあたしかにまじでその通りだ。当てはまっていることを確認して傷つくのが怖くて避ける、という行動自体めちゃくちゃHSPっぽい。
そして彼女に教えてもらったこちらのサイトでHSP診断をしたところ、以下の結果になった。

見事なまでの高得点を叩き出し、彼女と2人で爆笑してしまった。
正直せいぜい「中」くらいだろうと思っていたのだが、もうゴリゴリに「強」であった。
もし勇気がある方、現在の精神が安定している方は、思い当たる節があってもなくてもぜひやってみて欲しい。おもしろいから。

質問の内容は、なんていうか正直、「みんなこれはこう思うだろう」と思うようなものばかりだった。
わたしの感じ方や捉え方を、そこまで特殊だと思ったことはなかった。自分自身を繊細だと思ったことがなかったのだ。
もっとはっきり言ってしまえば、どちらかといえば感受性が鈍い方だと思っていた。

なのでカウンセラーさんや母親からしょっちゅう「感受性が強い」「感性が鋭い」という指摘を受けても、わりと「いやあそんなことはないだろう」と穿った目で見ていた。
そういう言い方をすることでわたしが気持ちよくなることわかってるんでしょ、要は「弱さ」をなんかいい感じに言い換えただけでしょ、みたいな。

でもこうして数字で事実としてばんっ!と目の前にいざ出されてみると、案外たじろがなかった。
なぜだろう、その自身の精神の脆弱さを、事実として自然に、悲観ぶることなく受け入れる準備がいつのまにか整っていたのかもしれない。
20歳のときには認められずに目を逸らした自分自身の特徴を、今はもう笑ってしまえるほどに、隠さなきゃいけないことだとか恥ずかしいことだとかというふうには、いつしか思わなくなっていた。
むしろもしわたしがHSPであるのならば、その傾向が強いのなら、それはいいことなんじゃないかとさえ感じた。

だって多くの人が味わえない感情を、わたしは感ずることができるのだ。
多くの人が気づかない物事に気づくことができ、多くのことを覚えていることができる。はるか昔の遠い思春期の傷ついた思い出も、本当につい昨日のように思い出すことができるし、そのときとまったく同じように傷つくことができる。
また、同じような気質の人間と、深く理解し合うことができる。
それは物を書く人間として、強みでしかないんじゃないか。
しかもなんか、「他人とは違うわたし」に酔うことだってできる。めちゃくちゃ楽しい。

自分の見つめ方が大きく変わったのは年の功ってやつだろう。
20歳のときにもしこのような診断テストをやっていたら確実に精神をやられていたし、ていうかまず診断してみようという勇気すらなかった。

わたしはわたしの傷つきやすさや怒りやすさに対して、生きづらさを感じることはもちろんある。
だけどそれ以上に、得るものの方がわたしには多い。
いまだにHSPのことはまだちょっと怖くて深く知ることはできていないんだけど、それすらわたしにとってはそんなにこだわることでもなくって、言ってしまえばどっちでもいいのだ。
たぶん昔ほど、自分の生きづらさに対して思い悩むことはあまりないのだろう。

28歳のわたしは、「生きづらさ」を抱えたまま生きていく心構えがある程度できているんだと思う。
もちろんこれからだって、「生きづらさ」のせいで1週間泣き続けたりすることはあるのかもしれないけれど、そこから立ち直るわたしも、今のわたしには容易に想像がつくのだ。

そしてわたしと似たような生きづらさを抱えている愛すべき友人たち、これからもそれなりに強く生きていこうな。

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