ゲーム依存からの苦悩と奮闘、過去と現在の結びつきを語る
ゲーム依存の経験について話した時、こう言われたことがあります。
「遊んでいたんでしょう?」
「自分が好きでやってたんでしょう?」
「若気の至りってやつじゃない? 楽しんでたんでしょう?」
「まぁ、そうかもしれませんね」
そう笑顔で返せるくらいには、自分の中で消化しているつもりですが、内心穏やかであるとはとても言えません。
自由奔放に遊んでいた。
何も考えずに楽しんでいた。
働きもせずに自分の好きなことができていた。
うらやましいことじゃないか。
そんなのもふうに考えてしまうのも、理解できないわけではありません。私自身もゲームが好きだから、楽しいはずだと思っていました。
しかし実際に経験してみると、そんなことはありません。何でもやりすぎは禁物です。
まず将来の不安に押しつぶされます。働かず収入もなく、このままゲームしている生活なんて維持できるわけがない。頭では分かっているのです。
そして劣等感に苛まれます。周りと比べて如何に自分がダメな人間か……。
早く何とかしなければ……でもやめられない。そうこうしている間に、世の中に置いて行かれそうな気持ちが襲ってきます。
心と身体のバランスもおかしくなってきて、眠れないこともしばしば。ついには昼夜逆転の生活をしていました。
自分が壊れていくような感覚がありました。こういうのは自律神経の乱れというか、崩壊というのでしょうか。
焦燥感と劣等感、不安。生活が崩れ、身体の不調。心が身体に、身体が心に悪影響を与えあう悪循環が生まれていました。
いくら好きで楽しい事といっても、その「楽」が「苦」になることだってあるのだと、私はこの時身をもって知りました。
そもそも、私がこの時ゲームを始めたのも、ままならない現実の苦しみを少しでも誤魔化したかったからでした。
慣れない一人暮らしに加え、大学生活で少し孤立していた私にとって、ネットゲームは数少ない居場所でした。
でも楽しい事に逃げても、目の前の苦しみは増していくばかり。
今だから思うのですが、子供の頃のようにただ純粋に楽しんでいたのではなく、目の前のままならない現実から目をそらす為に、楽しいを利用していたのかもしれません。
別に逃げることは悪い事ではありません。ただ私はその楽しさだけを得ようとして、現実の苦しみに向き合うことを放棄していました。
最近では自分がゲーム依存になって、ほぼ引きこもりの生活をしていたという事を口にしても、ほとんど平気になりました。
でもやっぱり人間、他の人には知られたくない事があるもの。私も自分の全てをさらけ出しいるわけではありません。
ただ過去の自分を否定しても、やはり苦しいものです。だからその苦しさを自分の糧や力に変えていくために、こうして言葉にしています。
苦しみは単に苦しいだけでありません。自分の糧になって、今ある楽しさを気づかせてくれる力になっています。
今の自分があるのは、過去の様々な出来事がつながっているからです。良いことも、悪いことも、全部つながって今の自分があります。
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