就職活動ー前回の記事からのアプローチ

 前回の記事(「就職活動ー言葉からのアプローチ」)では、水口の就職活動に対する見解を書いた。ただ、あそこで終わるとすっきりしない。しかも、前回の内容は若干わかりにくい。そのため、補足とともに今の考えを書こうと思う。

 まず、前回の内容の要約としては、こうだ。大企業の論理や価値観のようなものが苦手であり、その中でも特に「新卒」というものが苦手だった。「新卒」という身分が与えられることで個性があまり尊重されず、「社会人」や「常識」という暗黙の了解を押し付けられる。その上、働いた結果が、会社の利益のためという形だと最悪だと感じた。「社会の常識」を基準にするのではなく、「人への思いやり」を基準に働きたいと思った。そのため、「自由」や「フラット」をうたっているベンチャー企業に活路を見出した。その中でも、ビジネスを通じて社会課題を解決する「ソーシャルビジネス」は親和性が高く、信用度が高い。こういった経緯から、ほぼベンチャー企業のソーシャルビジネス方面に絞って就職活動を行っていたが、何の資格も能力もない存在の大学生が、労働市場で自分を売っていることに嫌悪感を覚えた。そのため、それを解決するためのアクションとして休学を選択したが、CMCに参加し、生活に関することなど、新たな価値観が輸入され、視野が広がった。そんな中、ソーシャルビジネスが自分に合っているかなどの疑問に答えていないと感じ、後半は海外で生活したいと思ったこともあり、唯一信頼していたボーダレスジャパンという企業のグループ会社のアルファジリにインターンに行った。

 要約といいながら、若干長くなったが、こんなところだろう。ここからは補足を加えていきたい。

 水口の就活観で重要なのが、「社会の常識」ではなく「人への思いやり」をベースにという部分だが、これは自分にとって都合がいいということが大きいように思う。「常識」という言葉にはたまに嫌悪感を覚える。特に、「常識がない」という言葉は人格否定チックに感じられる。個性の尊重もない。一方で、「〇〇だと誰々さんが困るから、こうした方がよくない?」という、思いやりの論理だと納得が行く。素直に従いたいと思うし、勉強になると感じる。あまりにも言われ過ぎると病んでしまうが、人との関わりは模索の連続なので、前向きに捉えるしかないだろう。このようなことから、「社会の常識」という概念は自分の周りから排除したい。そのためには、対にはなっていないかもしれないが、「思いやり」という概念が必要になる。これは、冷戦時の論理に近い気がする。敵対する勢力に抵抗するため、自分の論理を立てる。冷戦ならば、ソ連に対抗するために、アメリカは「資本主義」というアイデンティティを強め、資本主義こそがよいものだと主張し、社会主義を否定する。今回の話はそれに近い。「社会の常識」なんて心がこもっていない。人の気持ちが入っていない。ろくなものじゃない。そう主張いたいし、主張することはできる。だが、本音としては、自分自身が「常識がない」と否定されることに、心の奥底に不安がある。「社会の常識」は自分にとって都合が悪いので、「人への思いやり」という言葉で、心の中で抵抗しようとしているのだ。こうなってくると、ソーシャルビジネスを志したのが偽善のように思える。実際、このような経緯もあってソーシャルビジネスに関心を持ったため、原体験が欠如している。こうなると自分がソーシャルビジネスで具体的に何をしたいかわからず、それに一生を捧げる覚悟も生まれない。

 こういったことから、ボーダレスジャパンが自分に合っていないように感じている。実は、ボーダレスジャパンの選考基準が、「具体的に解決したい社会課題があること」や「一生かけてやる覚悟があること」などなのだ。ボーダレスジャパンは素晴らしい会社だと思うが、自分自身が入れる器の人間ではない気がしている。そして、他のソーシャルビジネスの企業に関しても同じだろう。

 一方で、それでも、自分には、「人の役に立つこと」をすることに憧れがある。今はこんな感じでも、将来的には、自分の理想の形になるように人間形成をしていきたい。

 ここまでの流れがあり、今は自分に合う形で、「社会課題」や「ソーシャルビジネス」的なものに関わる方法を模索している。例えば、自分が第一線で社会課題解決に尽力しなくとも、誰かのアクションに加わったり、誰かを動かすことで社会課題に関わることはできる。社会課題の種類も多いため、色んな選択肢があるだろう。例えば、貧困問題と地方の人口減少問題に対しては、やることも雰囲気も全く違うと思う。その他、社会課題には、貧困や飢餓、ジェンダー問題のような社会現象のようなものもあるが、人生の行き詰まりのような、心理的な課題もあると思う。それはまたいろいろとやり方が違うと思う。

 人生を考える上で、忘れてはいけないのは、「新卒」という概念だ。これは関しても少し嫌悪感を覚える。できれば、自分で肩書を作りたい。自分の個性を自分で主張したい。そう考えると、新卒採用されるのは避けたいと考えてしまう。それとともに、「自由に行きたい」という価値観や「クリエイティブなことがしたい」という価値観、「何かしら冒険したい」という価値観もある。これらを合わせて考えた時に、ゲストハウスや学校(イメージとしてはCMCみたいなもの)をつくるといったことが頭に浮かぶ。そうなると、社会課題は向いていないかもしれないと思った。だが、人の役に立つことをする方が絶対に楽しいと思う。そのため、人の役に立っていると思える度合いが大きい方がよりよいだろう。ちなみにだが、ゲストハウスや学校といったことは、「居場所づくり」というものにあたる。

  そういう経緯があり、「人への貢献」のような要素が含まれる方面で生きていきたい。もし、組織に入るのであれば、このようなことを理念として掲げているところにしたいと思う。ちなみに、「人への貢献」という言葉でいいのかわからない。しっくりくる表現が見つかっていない気がする。ただ、「人のためになること」や「人の役に立つこと」がいいと思っていて、そういった表現になると思う。

 最近感じていることだが、「人の役に立つこと」という方面は熱い。「人の役に立つ」という言葉には、気恥ずかしさがあるが、他者からは共感されることが多い。そして、考えられること、やれることの幅が広く、自由とも結びつきやすいと思う。ソーシャルビジネスは、その一つに過ぎない。世の中にはいろんな人がいて、田舎でNPOを立ち上げ、生活を大切にしながら、町の人や町に来る人のための活動をやっている人もいれば、ケニアで人生をかけ、貧困解決のビジネスをやっている人もいる。どれがいいとか悪いとかなく、大きく括ると同じもののように思う。近年は、就職のシステムが変わり、生きていくうえで様々なリスクがあり、安定するために努力しなければならない時代になっている。そんな中で、安定を求めずに、やりたいことを追求したい。

 そんな中で、最近、社会課題や人の課題との新しいかかわり方を模索している。何かを一生かけてやろうと思うと、覚悟がいる。自分自身は何かを一生続けるのは難しい気がしている。もしかすると、自分にも何か一生続けられるものがあるかもしれないが、それは簡単には見つからないだろう。何かビビッとくるものがある必要がある。そういったわけで、やはり一旦視野を広げる方向に進みたいと思う。そこで、選択肢が3つほどある。

 一つ目は、「とにかくいろんな課題に触れるコース」だ。これは具体的には、フリーのルポライターといったものが挙げられる。この考えはCMC時代にもあったが、最近になって思い出した。そのきっかけはNewsPicksの記事だった。フリーのルポライターの記事が載っていたのだ。詳しいことは書かないが、記事に載っていた人の生き方は面白そうだと感じた。

 この選択肢の場合、自分の視野が広がったり、人の心や人生に触れられたりできるかもしれない。また、自分が社会課題の発信をすることで、もしかすると何か動く人がいるかもしれない。そう言った、他の人が起こすムーブメントの起爆剤になるという関わり方もよい。

 2つ目は、NPOなどを巡る生き方だ。これもCMCの時にやってみたいと思ったが、やらなかったものだ。なぜNPOなのかというと、企業と比べて収益を出す必要性が低そうだからだ。つまり、より人や社会に貢献することに集中できる。これだと、よりやりたいことや求める結果を追求しやすい。ちなみに、NPOでいうと、SETとの親和性は高そうだと昨日思った。だが、前回述べたように、自分の役割がない可能性があるというところなどが気にかかっている。それでも、SETの活動拠点が増えれば、自分の役割が見つかる可能性もある。そう考えると、SETという選択肢は良いかもしれない。ただ、そもそもで田舎での活動をしたいかどうかわからない。興味があるし、やってみたいからCMSPの活動に参加しているが、将来それをやりたいかはわからない。そういった意味では、CMSPの活動をすることは意義深い。自分の将来を考える上で役に立つからだ。他にも、CMCに関わるという選択肢もあるが、それもやりたいことかはわからない。このような経緯から、いろんなNPOを見てみることはよい選択肢だと思う。ただ、その場合、何かしら働きながらになると思う。

 3つ目は、やるとしても来年だけだが、海外留学に行くという選択肢だ。ケニアに行き、英語をもう少し話せるようになりたいと思った。自分がこれからいろいろやっていく上で、英語は必須になるかもしれない。それに、どこかで世界一周の旅に行こうと思っているので、そこでも英語は必須になる。しかも、海外に行く場合、英語力の向上だけでなく、異文化に触れる経験もできる。生息区域外で生きる力が身につくという意味でも意義がある。海外で過ごして価値観がかわった、と言っている人がいたので、海外生活を深ぼるのも良いだろう。

 以上の3つが今考えている生き方だ。

 自分の人生、どう生きるかちゃんと定まっていないようで、一応定まっている。それは「人の役に立つこと」というざっくりした大枠だけど、これは人生の羅針盤になり得る。この価値観は、半分自分の都合がいいというところで得たものだ。だが、他の人が「こんなことをしてみたい!」と
語るのを聞くのは熱い。そのような人は同志になり得るだろう。こんなことを語っていると、本気で社会課題を解決したり、人の役に立つことをしている人は「お前には何もできない、甘い」というかもしれない。だが、どうせ人と同じように生きられない。自分のペースでしか生きられない。失敗覚悟で自分の思い通りにやってみるしかない。

 多くの人が大企業という名のインフラで働く中、自分はその恩恵を受けつつも、そのインフラが果たせないところに関わりたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?