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雪螢

 異国さながら、東京都。よせばいいのに冬日和。肌に染み入る静かな寒さが少し懐かしい。冬はつとめて。清少納言も強がりな女だったのかもしれない。雪の積もるも知らないこの街での生活にも、僅かばかり慣れてきたところでございます。拝啓、田舎者だった私よ、東京も案外いいところです。追伸、強がらずに暖房はいつも点けておくこと。


 歩いていれば沢山の人とすれ違い、みな一様にどこかに向かって歩いてゆく。立ち止まることも知らないで、寒さの朝を忙しなく行く。師走という言葉を作った誰かに感心。そういう言葉を大切にする人が、すれ違った人の中にいたら素敵だと思う。柄にもないことを考えていれば、冬の寒さもちょっとだけ愛おしい。一人でにやにやしているのを、ふんわりマフラーが隠します。


 浮足と 綿入羽織の 袖まくり


 ランドセルの子供が私の隣を駆けてゆく。子供は風の子元気な子。私は元気にやっています。沢山の人が行き交うこの街も、冬の朝日はそちらと変わらず綺麗です。みんな元気にやっているだろうか。一丁前に人の心配をするくらいには、私も大人になれただろうか。朝日に煌めく神田川の水面。冷たい風に舞い上がるビニール袋。一つ一つ異なるランドセルの黒。街に吸い込まれる謙虚な冬。ふふっと一人で微笑んでいる、私はちょっと、雪螢。

 歩道のアスファルトから一歩だけはみ出してみる。しゃりっと鳴きながら路肩の霜ばしらが崩れていく。まだ今ひとつ履き慣れないパンプスを露に濡らして、永遠に続く駅までの道を鼻歌混じりに歩き続ける。私の音痴が世にばれてしまうが先か、この歌に感動して涙を流す誰かが現れるかが先か、二つに一つに違いない。無粋な私は息を喰み、昇る朝日を右手で払った。一人で歩くこの道は、振り返ってしまえばはるかに痩せっぽっちで、前を向けば忙しなく小汚い。けれどもこの道が、この大したことない大都会が、私の歩く道である。

 行き行きて 雪螢舞う 神田川

 田舎者の私はまだぼんやりと朝を歩いていて、冷たい風に鼻先を赤く染めて、そんな幼稚な幸せを楽しんでいるのだ。子供たちのランドセルは艶々としていて、神田川の鯉は寒さに負けじと泳いでいる。大人はみんな駅に急いで、私は何か温かいものでも飲みたくなった。カフェオレとカフェラテとは一体何が違うのだろうか。さして興味も無いことを、たまには真面目に考えてみたくなる。私はいつから大人になったのだろう。この子たちは、いつまで子供でいられるのだろう。あったかいほうじ茶を買って、しっぽりと頬に当ててみる。人は温もりを求めて生きている。清少納言と私では、きっと私の方が暖かろう。返ってこない時間を踏み締めながら、こっそり生きてゆくもをかし。

 永遠と続くかに思えた今朝は、仰々しい改札機によってぴしゃりと終わる。流石にここを抜けるころには、私も大人でありましょう。右のポケットから、もう使い慣れた定期券を取り出します。ぴっと鳴って、また一日が立ち昇る。

 かと思っていたけれど、改札機は大きな音と共に私を通せんぼ。昨日で切れた定期券には、二十五円しか貯まっていない。後ろの男の人も、私の背中に戸惑ってしまっておりました。なんだか私、柄にもなく恥ずかしくなって、改札機からそそくさと離れる。私の頬は、真っ赤に染まっていることだろう。

 そうして一日から目を背けた直後、改札機の音はもう一度、けたたましく鳴り響く。慌ただしい足音と共に、先ほど私の後ろに並んでいた男もまた、そそくさと私の隣にやってきました。

「定期、昨日で切れちゃってたみたいで」

「私もです」

「この慌ただしさが、師走って感じがします」

 ってそれはなんか違うか、と男。分かります、と私。しゃりっと笑う表情で、男は定期券にお金を吸い込ませる。

「どこまでですか?」

「渋谷です。あなたは?」

「私も渋谷」

 マフラーの下で、私は無邪気に笑ってしまう。それを知ってか知らずか彼も笑う。胸の奥、小さく何かが、舞い上がる。

 小娘や 師走の風に 頬染めり


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