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鬼の目にも涙

三谷流の「北条政子の演説」は見事でした。

鎌倉始まって以来の危機を前にして選ぶ道は2つ。
ここで上皇様に従って、未来永劫、西の言いなりになるか。
戦って坂東武者の世をつくるか。

ならば答えは決まっています。

速やかに、上皇様を惑わす奸賊どもを討ち果たし、3代にわたる源氏の遺跡ゆいせきを守り抜くのです!

第47回 鎌倉殿の13人
「政子の演説」スポニチ

「頼朝さまの御恩は天よりも高く、海よりも深く…」と読み始めたので、さすがにここは通説通りかと思ったとたん、演説文を捨てて自分の言葉で言い放った政子。

正直、このセリフには「おぉ!」と身を乗り出してしまいました。

「吾妻鏡」によると、安達景盛が代読したとあります。
安達景盛といえば、2代・頼家に妻を寝取られて、ひと悶着あった人でしたが、チラリとも出番はなく、北条政子に全て持っていかれました(笑)

通説では、この政子の演説は歴史を変えるものであったとされているだけに、安達盛長の代読では、イマイチ説得力に欠けます。

さすが三谷さん、こうでなくては面白くありません。
政子の言葉で心情を語らなくては、その後が成り立ちません。

それにしてもあの義時の涙は本物なのか??
今までの数々の悪事を思うと、素直に取れなかったのは私だけではないのでは?


後鳥羽上皇の狙いは?

「上皇様とはもめたくないんだよ」

この長沼宗政(清水伸)のセリフこそ、当時の御家人たちの心情を代弁するものでしょう。

「北条義時追討」

という上皇からの院宣いんぜんを受けて、これより過去には上皇(天皇)に逆らって勝てた例はなく、当時の人々にとって、絶対服従の選択肢しかありません。
このまま何事もなく現状維持を望んでしまうのも無理はなかったのです。

義村の弟・三浦胤義たねよしがそれをふまえて後鳥羽上皇に進言していました。

「御家人たちの中には、義時に見切りをつけ、上皇様のお情けにすがろうとするものが大勢いる」

これを鵜呑みにした上皇は、俄然、強気になるのです。


万能の天皇

その後の展開を思うと、いかにも後鳥羽上皇が愚かに映るかもしれません。
しかし、まったくそうではなく、和歌や蹴鞠を極め、文武や知略にも長けた歴代のなかでも一番とも言えるほどデキる天皇なのです。


刀剣コンプレックス

三種の神器とは、代々の天皇が継承する以下の宝物のこと。
八咫鏡やたのかがみ
八尺瓊勾玉やさかにのまがたま
草薙剣くさなぎのつるぎ

しかし、先の「壇ノ浦の戦い」で平家滅亡時に一緒に海に沈んでしまい、どうしても草薙剣くさなぎのつるぎだけは回収できませんでした。

後鳥羽上皇は三種の神器のうちの剣だけが無いまま即位した天皇でした。
このコンプレックスは現代人の、しかも平民である私達には理解し難いものですが、天皇家にとっても重大な事なのでしょう。

もしかしたらこの事が上皇の心のしこりになっていたのかもしれません。


朝廷の権力を取り戻したい

元々荘園の全ての恩恵は朝廷にあるべきもので、鎌倉幕府は東面の荘園を管理したため、朝廷には西面の一部のみで思い通りの収入は得られず、上皇はこのやり方にも大きな不満を抱いていました。

大きな収入源を鎌倉に取られたという思いもあり、また以前のように朝廷(天皇家)の権力を取り戻そうと、西面の武士の集団を確保するのです。


北条氏を排除

とはいえ、幕府そのものは上皇にとって自分たちの傭兵として必要であり、その「兵」を束ねる存在として残さねばならず、倒幕まではできません。

鎌倉幕府を思うままにできる実権だけが欲しい。

そこに邪魔になるのが執権・北条氏です。
自分の意のままになる「代表者」を立てようと、北条氏、特に義時の排除を画策するようになります。


後鳥羽上皇の大きな誤算

結果的に承久3年(1221)、「承久の乱」へと発展し、上皇側は大敗北を喫します。

歴代天皇のなかで随一とも言われる彼が、これまた歴代天皇随一の残念な境遇へと追いやられてしまうのです。

ではこの大敗北の原因はなんだったのでしょうか?

上皇の狙いはおそらく以下の事だったと思います。
・三浦胤義の進言などから、義時は必ず孤立。
・幕府内で 義時派 VS 反義時派 で内紛が勃発。
・三浦一族は見方につく

知略に長けた後鳥羽上皇でしたが、やはり育ちの良さが災いしたのか、見通しは甘かったようで、もしかしたら戦になる事も想定していなかったのかもしれません。

権威は落ちたものの、自分は日本の最高権力者であることには変わりなく、その自分に向かって剣や弓矢を向けるなど思ってもいなかったのです。

結果、朝廷の権威自体が大きく失墜してしまいました。
幕府の権限が全国に及び、天皇即位に干渉するまでになります。

そして、「承久の乱」をキッカケにこれ以後、徳川幕府崩壊~明治維新まで実に600年以上に及ぶ武士政権を生むことになりました。

そもそも、北条はこれまでとことん自己中心の悪事を働いておきながら、ここらで天罰が下ってもおかしくないのですが、それはまだずっと先の112年後の事なのです。(1333年鎌倉幕府滅亡)



義時がしおらしくなった理由

一方、北条一族の頂点であり幕府の最高権力者である北条義時。
上皇から自らの追討命令を受けて、しおらしく自害を決意します。

元はと言えば、伊豆の片田舎の小さな豪族の、次男坊。
その名を上皇様が口にされるとは。
それどころか、この私を討伐するため、兵を差し向けようとされる。
平相国清盛、源九郎判官義経、征夷大将軍源頼朝と並んだのです。
北条四郎の小倅が。

面白き人生でございました。

第47回 鎌倉殿の13人
「義時のセリフ」スポニチ

最後の笑顔は、当時の屈託のない義時のものでした。


泰時の成長を実感できたから

しおらしい義時の態度に、一瞬は不憫に思えたのですが、過去のやりたい放題の抗争劇を思い出すと、本心なのか?と疑問符がつきます。

そこで、上皇打倒を率先したのが、息子の泰時(坂口健太郎)でした。

そうそう。
そう言えば、義時は誰に何と言われようと、跡継ぎは泰時だと名言していました。
彼の素養をちゃんと見抜き、託すべきは泰時であるとしていたのです。

その嫡男に「成長」の手応えを感じていたからこそ、後の鎌倉の安寧のために、自らの首を差し出す覚悟ができたのでしょう。


それにしても、義時が涙するとは!
これは意外な演出でした。まさか鬼が泣くなんて思ってもいませんでした。
三谷さんは、義時をヒールのまま終わらせたくはないのでしょう。


「悪」へと成長するしかなかった?

義時のセリフ通り、元は伊豆の小さな豪族のしかも次男だった義時。
思い起こせば、「欲」などはカケラも持ち合わせていない、気楽で素直な青年でした。

ところが、姉の政子が源氏の嫡流・頼朝に嫁いだことで運命は急旋回します。

最初は、頼朝や父の時政に振り回されていた義時でしたが、いつしか自分のやるべき使命に気付き、「悪」へと変貌してゆきます。

この辺りの小栗旬さんの演技力は素晴らしかったです。

振り返れば、その根幹は姉の政子と同じ「北条ファースト」でした。
この姉弟はこの1点だけは常に共有していたように思います。

ドラマでは汚れ役は義時で、政子は良く描いていますが、私は政子も「悪」だと思っています。



真の悪党は誰だ!

あと一回の放送で終わるなんて、ちょっと無理があると思わずにはいられません。
毎年の事ですが、大河ドラマは終盤をハシリ過ぎる。
たいていのストーリーは終盤に盛り上がるのだから、もうちょっと丁寧に描いて欲しいものです。

今回も前半の頼朝のシーンが多すぎではなかったか?
北条氏にさっさと実権を握らせていればよかったのでは?

そんなわけで、今年の最終回もきっとハシリ過ぎると思われますので、ここでひとつ、私なりの見どころを提案させていただきます。


一番のヒールは誰??

北条義時(小栗旬)
私心はなかったとか、生真面目だからとか言ったところで、やっぱり過去の残酷さを思い起こすと、この期に及んでのしおらしい態度も、ウラで何かあるのではと疑ってしまう。

北条政子(小池栄子)
何と言ってもこの時点での最高権力者である尼将軍。
先を見越して考えれば、このまま朝廷の言いなりになるのは嫌だし、ここは上手く弟の義時に恩を着せて、今後の実権を掌握したい。


三浦義村(山本耕史)
弟・三浦胤義(岸田タツヤ)に大番役を務めさせて、後鳥羽上皇に取り入らせ、今の時点では「上皇」と「幕府」を両天秤にかけている。
史実では、弟を裏切って幕府の義時側に付くのだが、以前から腹黒さは天下一品。


以上の事を念頭に入れて、三谷幸喜さんはどんな脚本に仕立てたのか?
義時はどのような最期を迎えるのか?
最終回を心ゆくまで楽しみたいと思います。




【参考文献】
スポニチ
ベネッセ
プレジデントオンライン
Wikipedia




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