哀悼の意をもって朋友を想う
レキジョークルメンバーのヒデさんが亡くなった。享年58。満57歳というあまりにも早すぎる死に際し、私たち一同はただただ呆気にとられて実感が無く心がついていかない。
レキジョークルに関してのkindle本やnoteマガジンを読んでいただいた方々には記憶にあると思うが、あの「リアクション王」のヒデさんだ。
いつも元気で明るく、小さな事でも大きなリアクションで、常に私たちを楽しませてくれていた彼女である。
ツッコミどころ満載だった。
超あわてんぼうだった。
いつも周りを気遣っていた。
見かけは元気で健康そのもだった。
出会いから約15年経つだろうか?
ヒデさんがレキジョークルに参加し始めてからだと約10年だと思う。
一瞬にして様々な思い出が自然と蘇る。
今回の情報はリンさんがFacebookで見つけて、私がたまたまその投稿者と友達だったので問い合わせることができたが、あまりにも突然の事で、おそらくまだ知らない方々も多い事と思う。
最近はすっかりFacebooを閲覧しなくなったが、今回のような急な情報にはとても役立つものだと実感し、その投稿者の方には感謝しかない。
予兆
今から思えば、思い当たることはいろいろあった。
約2年前
まず、2年ほど前から少しスリムになったのだが、それは職場を変えたことにより心身共に忙しくなったためだと本人が言うので、私もそれを信じ、環境に慣れればまた元に戻るだろうと軽く考えていた。
職業は伏せるが、昼間だけでなく周3日ほど夜もバイトをしていたし、レキジョークルの予定にも仕事あがりのまま一睡もせずに参加したこともあった。
レキジョークルのイベントはみんなの予定を聞いて日時を決めるので、もし最初に「夜勤明け」だと言ってくれればその日は除外するのに、彼女はそれを言わない。
それは、参加したい気持ちが大きいのと、自分よりもみんなの予定を優先するからだ。
今年1月
新年会に参加した時、すごくしんどそうだった。
腰が痛い。
バネ指がなかなか治らない。
とにかく身体が重い。
本人は更年期障害だと思って、1年以上もクリニックを転々としていたが一向に治らないと言っていた。
腰痛やバネ指など、通常は投薬や施術ですぐに回復はするし、現に私もバネ指を発症したが1週間ほどで治った。
きっとこの時には、彼女の身体はあちこちで悲鳴をあげていたのだろう。
イヤ、とうに限界を超えていたかも知れない。
私は、「夜の仕事だけでも辞めたら?」と強く提案し、あまりにも覇気のない彼女に、ただごとではないと感じて真剣に心配していたのだが。
この日がレキジョークル最後の参加がとなった。
診断
3月
20日、レキジョークルLINEに流れた彼女からのトーク内容は、あまりにも衝撃だった。
急性骨髄炎白血病!!
この時は瞬間的に絶句はしたものの、有名人の中にも白血病を克服した人はいるし、治ると信じて疑わなかった。
その後は抗がん剤治療、輸血、点滴と、治療に専念する入院生活に入るが、「身体を縛り付けられて身動きできない」という彼女からの一文に、胸がえぐられる思いがした。
悪性脳腫瘍で亡くなった妹の事を思い出した。
縛られているということは、のたうち回るほどに苦しい思いをしたのだろう。
彼女からのLINE報告はあっさりして明るいものだったが、それらの情報の中には尋常ではない重い闘病生活が垣間見れたのだ。
どうにか心配させないように元気アピールをするのだが、彼女の性格を知る私は気が気ではなかった💧
闘病
かなり筋力が低下して、普通に歩くこともままならなくなったので、リハビリを開始する。
自分が大変な状況にも関わらず、家のことを心配ていた。
彼女は気の荒い元気な犬種・ジャックラッセルを2匹も飼っていて、毎日の散歩に加えて、休日には車で数時間もかけて2匹と共に自然豊かなドックランへと出かけていた。
同時に庭の植木の世話もしていた。
子供1男1女のうち、社会人になったばかりの下の娘さんがまだ同居していたので、娘にすべての負担がかかっていることを案じていた。
白血球、赤血球がもう少し正常値に近づくと次の治療に入る予定とのこと。
4月
20日
チコさんがお見舞いに行ってくれたのだが、歩行もお喋りも普通にできてはいるが、やはりヒデさんらしい元気さはなかったらしい。
それでも、「元気になってる」と皆には伝えてほしいと念を押されたそうだ。
このあと一時帰宅して再入院したら、臍帯血で骨髄移植手術して、9月頃まで入院になるという。
この時点ではまだ、チコさんをはじめ私たちもレキジョークルへの活動再開は、来年ぐらいだと信じていた。
この時はまだ食欲はあって、テリヤキマックやスイカが食べたいと言い、コンビニでお菓子やアイスを買って食べ、それでも体重は増えないと言っていた。
29日
今度は私が一時帰宅中のヒデさんに会いに行った。
出歩くのは当然無理だと思って、家への訪問のつもりだったが、本人は近くのカフェへ行きたいというのには驚いた。
それも自分で運転するから待ち合わせしようというのだ。
いくらなんでも運転はさせられないので、私が自宅へ迎えに行ってカフェまで行くことになった。
2匹のワンちゃんたちも飼い主のママが長期不在のため、気が立って異常に吠えるらしく、とても落ち着いて話ができる環境ではないからと言ってはいたが、きっとそれも私への気遣いだったな。。。
そうとは知りつつも、この日は絶対に会わないといけないと思っていたのには、再入院ともなれば無菌室に入り、お見舞いに行っても満足に話もできないだろうから。
迎えに行ってフロントガラス越しに彼女の姿を見たとたん、あまりにも痩せて弱弱しく、今にも壊れそうなほど脆い立ち姿に、不覚にも涙が出てしまい、溢れ出るのを止めることはできなかった。
泣くなんてこのタイミングでは絶対にNGだ!
そうとはわかりつつ、この時ばかりは感情が先行してしまい「ごめんな」と謝りながら自分を抑えるのに精一杯だった。
そんな私に儚げに笑いながら「心配かけてごめんな」と言うので、また涙が出た。
このまま調子が良ければ8月頃にまた一時帰宅できるかもしれないというのも、心配かけまいとした発言だったか。
とにかく精神的に落ち込んでしまうのが一番こわいので、今は白血病は治る病気だし、先の楽しい事だけを考えて、毎日を希望を持って過ごしてほしいと伝えて将来の夢を語った。
この時、笑顔も良くよく出ていたが、これからが本番の戦いであることを彼女も私も覚悟していた。
大きな不安はあるが、私は希望を持って見守ってあげるしかないと強く思った。
5月
無事に臍帯血移植が終わって、2週間の経過観察期間。
さすがに当日は力が入らずLINEも打てない状態だったが、しっかり食べているとのこと。
これで一気に快方へ向かいますようにと、メンバー全員が切に願っていたのは言うまでもない。
そしてまた一時帰宅や退院ともなれば、また会いに行ける。
6月
輸血後、定着してから食欲が急激に無くなる。
美味しいと思えないと言っていた。
体が戻るまではしばらくかかりそうだと言いながら、こんなにも明るいLINEを寄こすなんて、本当にヒデさんらしい。
最期
7月
亡くなる3日前に担当医からご家族に、あと1∼2か月という余命宣告があったらしい。
妹の時もそうだったが、医者は結構ハッキリ言う傾向にあるので、本人にはもっと早くに余命が告げられていたのではないだろうか?
ヒデさんは大変な怖がりの一面もあるので、余命を告げられてからどんな気持ちで、毎日を過ごしていたかと思うと、胸が締め付けられる。
時々参加するレキジョークルLINEのトークはとても明るくて、屈託がない。
彼女の事だ、きっと微塵の不安も見せずにこのまま逝くつもりでいたのだと思う。
そして家族もまだ知らない間、一人でずっと「死」というものの恐怖と対峙していたはずだ。
それを想像するだけで、いたたまれない。
診断が下ってからたったの4カ月。
早すぎる。
ご家族にとっても、余命宣告を受けてたったの3日での急逝なので、まったくの青天の霹靂だっただろう。
私たちもそうだが、きっと彼女自身も人生をまだ終えるつもりなどなかったはずだ。
もしかしたら本人が一番驚いていて、残念がっているのではないだろうか。
気持ちさえあれば、
宗教はいらない
お通夜、お葬式のすべてを通して、まったく宗教色はゼロだった。
僧侶もいなければ、読経もない。
ただし参列者はお焼香だけはあげることができた。
元々、宗派はあったはずだが、これはご主人のお話によると本人の希望だという。
わかる気がした。
私と同じくヒデさんも神も仏も信じないのだろう。
信じたところで叶えられないのであれば、最初から信心など持たない方がいい。
今回、思った事は、死ぬときに成仏を神仏に頼るのではなく、一点の曇りのない自分自身の人生を信じれば良いという事だ。
自分の事は常に後回し、
子供たちを第一に、どんな場合においても周りの人間を思いやるという彼女こそがまるで仏ではないか。
そんなヒデさんにとっては、どんな宗派も霞んでしまうではないか。
だからこそ、全く宗教に帰依しない今回の式典はとても清々しく、本当の意味の思いが詰まったものだったと感じた。
まだまだ受け入れられない自分がいるが、今後のレキジョークルの予定はもちろん、それ以外にも彼女の存在を感じ、事ある度に、その「死」を受け入れねばならない。
それでも思い出してあげることが、一番の供養になるはずだと信じている。
一連の経緯を整理しておくことで、ヒデさんを大きいままの存在で私の中に遺しておきたいと思う。
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