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「すみよっさん」は日本人にとって大切な氏神様だった

「住吉祭礼図屏風」に描かれた神輿みこし行列

前回お伝えした「一心寺」へ行った後、住吉区にある「住吉大社」へも寄ってみました。

子育ても終了した老夫婦には早く帰る理由もないので、帰り道にちょっとだけ大回りしてみたのです。

それは大阪人にとって誰もが知ってる住吉大社です。

私の著書である「奥の枝道 其ノ二 大阪編」で堺市の「さかい利昌りしょうもりの紀行記事も執筆させていただいたのですが、再度調べてみて、地元にある宿院頓宮しゅくいんとんぐうと密接な関係がある事を知ったのです。

そこの展示物のひとつに、貴重な「住吉祭礼図屏風」をデジタル化したものがあり、必要な箇所をタッチすると音声解説されるという面白いものでした。

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(「さかい利昌の杜」H.Pより)

行った当日は、おばちゃんたちも小学生たちといっしょになって無邪気に遊んでいたのですが、とてもきらびやかなその屏風絵に見とれてしまった事はよく憶えています。

大阪市住吉区の「住吉大社」から堺市宿院の「頓宮とんぐう」までの神輿を担いだお祭り行列の様子が描かれたもので、当時の街の様子がよく描かれていて、実は最も古い時代の堺の様子を伺える貴重なものなのです。

現代人の感覚では「げっ!歩いたん??」と軽く驚いたのですが、冷静に考えれば十分歩ける距離なのです。

距離はたったの4.6㎞、時間にして約1時間。

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以前、堺市に住んでいたので、私にとっては宿院頓宮は「大鳥大社」として知っていましたし、もちろん行った事もあります。

興味がないとは恐ろしいもので、当時の私は無意識だったのでしょう、そこが「住吉大社」と関係アリであるとは、まったく知る由もなかったのです。

大阪では昔から「すみよっさん」と呼ばれていて、今も庶民に親しまれている神社なのです。

しかし初詣などは大混雑するのでまず行きませんし、大阪とはいえずっと郊外に住んでいた私は、めったに訪れる事もなかったのですが、今回の執筆にあたって調べてみたら、行きたくなった事をこの日に思い出したのです。


由緒深く、信仰あつ

大阪において最も格式が高いとされる一宮いちのみやであり、
古代からの社格の1つで、国幣大社の名神みょうじん大社の一つでもあり、
また、かつて朝廷から格別に指定された二十二社のうちの一つでもあるという由緒正しく歴史の古い神社なのです。

ここは大阪でも昔から繫栄してきた上町台地上の西端にあたり、現在の大阪市南部に位置します。
当時はもっと大阪湾が近く、それを西面に臨んで鎮座しているため、当初から海の神様をお祀りして、遣唐使を守る航海安全の守護神として崇められてきました。

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入り口の大鳥居をくぐり、「すみよっさん」の象徴の”渡るだけでお祓いができる”という「反橋そりはし」があります。

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「反橋」の最大傾斜は約48度で中央に行くほど急傾斜となり、ちょっと慎重にバランスをとる必要があります。

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注意深く渡って”お祓い”を済ますと、いよいよ聖域に入ります。

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一番奥の社殿から、
第一本宮ー底筒男命そこつつのおのみこと
第二本宮ー中筒男命なかつつのおのみこと
第三本宮ー表筒男命うわつつのおのみこと
この3柱は主祭神であり総称して住吉大神すみよしのおおかみといわれています。

その正体は「古事記」「日本書紀」によると、これら3柱神は伊弉諾尊いざなぎのみことの息子であり、筒男三神つつおのみことさんじんといわれ、すなわち住吉大神すみよしのおおかみであるという記述があります。

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そして最後に、一番手前右のもう一つの神様の第四本宮ー息長足姫命おきながたらしひめのみこととは、なんと神功皇后じんぐうこうごうの事なのです。

神功皇后じんぐうこうごうといえば、過去にも記事にさせていただきましたが、巫女的な能力を持ち、戦闘の指揮まで執ったという勇ましいおきさきさまで、「君が代」起源のキーパーソンの可能性もあり、日本初の紙幣の肖像画にもなった方でもあるのです。

それらの伝承は、もう神話の範疇を超えてかなり真実味は増しますね。

住吉大社の4柱の神様たちは、明確な由緒があり、これだけ時代を遡った伝説なのに、かなり真実味が増して大きなロマンを感じます。

それではいつの創建なのか?

211年、第四本宮である神功皇后じんぐうこうごうが、第一~三の本宮である「住吉大神」をお祀りした伝承があります。

しかし、それはちょっと伝説っぽいので、

確かな史実の文献での初登場は「日本書紀」朱鳥元年(686年)に、紀伊国きいのくに国懸神くにかかすのかみ飛鳥四社あすかししゃ住吉大神すみよしのおおかみにお祓いの時に使うぬさたてまつられたと記載があるので、7世紀後半にはあった可能性が高いのです。

そんな昔から難波人の信仰対象だったのですね。

ハッキリしないほどの大昔から大阪の人々は篤く信仰していたという、古くて深い神を祀る由緒正しい神社なのです。


全国にたくさんある「住吉神社」の総本山

「すみよっさん」は、地元の大阪人だけでなく、この地を訪れる方々の観光名所ともなっているので、多くの参拝者が訪れています。

しかも、全国各地にある「住吉神社」の総本山で、その数、全国に約2,300社もあるとの事です。

日本三大住吉として、
ここ大阪の「住吉大社」の他、
長門一宮住吉神社(山口県下関市)、
筑前一宮住吉神社(福岡県福岡市)、があります。

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日本三大住吉神社がある大阪・下関・博多という地点は、それらを結んでみると古代における大陸との交易ルートとなるのです。

このことからも、朝鮮や中国との密接に関係があった神々だということがわかり、なるほど遣唐使を守る航海安全の守護神であったと頷けます。


noteでのお友達・あるみさんがとても興味深い記事を投稿されていました。
東京都中央区佃の「住吉神社」は月島周辺の氏神様で、同じように海上渡航安全の守護神として篤く信仰されているのです。

月島にも「すみよっさん」がいらっしゃるのかと思うと、月島の土地にも、なんだかとても親近感が湧いてきました。

ただし、あるみさんによると「すみよっさん」が大阪の愛称であるのに対して、月島では「すみよしさん」と呼ぶようですが、方言のイントネーションによるものなのか、微妙に違いますね。
それもまた地域の特徴が表れていて面白いです。


とにかく、大阪の総本山である「すみよっさん」は大阪だけでなく、日本の歴史上、とても重要な位置に鎮座され、太古の昔から日本の発展に貢献し、下々の庶民に至るまで広く信仰対象となって、私たち日本人を見守り続けてくれたのです。

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∞∞∞∞∞お願い∞∞∞∞∞

もし、この投稿をご覧になった方々で、「近くに住吉神社あるよ」という方、コメントしていただくか、記事投稿するかしていただけたらとても嬉しいです。

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