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橋本治研究者が選ぶ、トラウマ橋本治小説

明治時代に尾崎紅葉によって書かれた『金色夜叉』という小説があります(1897年~1902年)。橋本治『黄金夜界』は、『金色夜叉』のリメイクです。

ただし、『黄金夜界』の舞台は平成(2010年代)、主人公の貫一は2013年前後に大学生の設定です。したがって、リメイクとは言え、物語の展開は大きく異なっているようです。私は金色夜叉を読んでいないので詳細な比較はできませんが..。

まず序盤で驚いたのが、この部分。

「街頭の光を受けた銅像らしきものがそこに立っている。なんだか分からないが、マントのようなものを着た男が、着物姿の日本髪の女を蹴飛ばしている。『怒ってすむなら簡単だよな』と思って、その瞬間、貫一の胸になんとも言いようのない感情が湧き上がって来た。」

橋本治『黄金夜界』

金色夜叉の有名な一場面をモチーフにした銅像が熱海に実在します。黄金夜界の主人公貫一は、熱海でこの銅像を目にすることが書かれています。
リメイクである作品に元ネタを出すのはタブーではないかと思って驚きました。でも、おそらく橋本治はあえて出してきた。その意味をどう捉えるか?
私はこれを一種の“窯変”だと考えます。
かつて橋本治は源氏物語を翻訳した際に“窯変”とタイトルに付けました。「千年の時の竈でゆっくりと色を変え、現代に甦る物語」の意味です。
金色夜叉から100年が経ち、黄金の貫一は金色の貫一とは違う。2010年代に大学生だった貫一は、金色の貫一を見て「怒ってすむなら簡単」と言えるようになっていました。
物語のはじめから、考え方も価値観も明治時代とは違う。だから展開も結末も当然異なっていきます。
金色夜叉は未完です。黄金夜界は完結しました。読んでいる私の予想もしなかったかたちで。
少なくとも私は、橋本治の小説で貫一と同じ道を選ぶ主人公を知りません。結末のない原作に橋本治があえて選択した道だと私には思えました。
橋本治は「小説を書くことは鎮魂を行うこと」を書いています。もしかしたら、この小説でしか書けなかった鎮魂を橋本治はしたのかもしれません。
でもそのうえで言います。この一冊は私のトラウマになる。将来的にも。

橋本治の書く文章はとても現実的です。現実はシンプルじゃないし、複雑なものを複雑なまま書く文章は好きだ。橋本治の文章が好きなのも、それが理由。
『黄金夜界』は私にとって、「あまりにも現実的であってつらい」という響きかたをしました。だからその衝撃は、読了後二日経っても続くくらい効いてる。「小説を書くことは鎮魂を行うこと、可哀想な例を繰り返さないために」とでも思わないとやってられないくらいつらい結末。
物語を読み終わるまでは、カバーを外した表紙が冬っぽくてクリスマスっぽくて好きだと単純に見てたけど、読み終わるとその印象が一変します。



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