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橋本治『草薙の剣』─上昇力と迎え撃つ力について

「正起はどこまでもどこまでも落ちて、結局『人生とは落下の方向に対する上昇力でしかない』ということを悟るしかなくなった。」

橋本治『愛の帆掛舟』

これは「愛の帆掛舟」という小説の一節です。

「悲観的であるような方向に落ちて行きながら、最後の最後に方向を“楽観的”の方向にグイッと変えるのが必要」

橋本治『負けない力』

で、それが考えるということだと『負けない力』では語ります。

「“現実”っていうのはね、その中で生きようとするものを傷つけようとする力のことなんだね。」「現実を自分にとってましな方に変えて行くことが、“生きる”っていうことなんだね。」

橋本治『青空人生相談所』

これは『青空人生相談所』からの言葉。

「前言はひるがえすためにある」という短い前書きから始まる『シンデレラボーイシンデレラガール』は、その“上昇力”や“現実を自分にとってましな方に変えて行く力”を自分で獲得するための動機付けを一冊を通してするような本でした。

「きみは生まれて来る時に、色んな迷信がごっちゃり貯まった、人間の染料オケの中に落ちて来るから。マッサラなきみは、マッサラなまんまでは生まれて来れなくて、生まれて来たとたんに色がついちゃう。だから、マッサラなきみは、自分のことが分かれると思うし、色がついてるきみは、自分のことが分かれない。人間て、はじめっから矛盾してる存在なんだよ。」「時間ってたぶん、その矛盾を埋めて行くためにあると思うんだ。」

橋本治『シンデレラボーイ  シンデレラガール』

さて本題の『草薙の剣』。私はこの小説も、上に挙げた作品と通じるものを感じました。橋本治がこの本で言うのは、「迎え撃つ」ということ。

「草薙の剣」はヤマトタケルのミコトの伝説に由来します。
ヤマトタケルのミコトは騙されて、一面に草の茂る野へ導かれ、火を放たれた。進退極まったミコトは授けられた剣で辺りの草を薙ぎ払い、集めた草に火を点ける。ミコトが点けた火は押し寄せる火を逆に押し返し、敵の炎を食い止めた。
ヤマトタケルのミコトに剣と火打石を授けたのは、おばのヤマトヒメのミコト。

「授けられた剣は『草薙の剣』の名を得ることになるが、それより更に重要な火打石にはいかなる名称もない。
草を薙ぎ払うだけで、押し寄せる熱と炎と白煙を押し止めることが出来たのか?ヤマトヒメのミコトは黙って、押し寄せる敵を迎え撃つ術を教えたのだ。大太刀を振るって敵をかわすよりも、迎え撃つことの大事を。」

橋本治『草薙の剣』

人が生きるとは、気づいたらいつの間にか「一面に草の茂る野」にいるようなことではないかと思います。その「草の茂る野」は“時代”。
主人公は、「なにも特徴がないことが最大の特徴であるような男」と著者自身が語るような男6人です。主人公と言っても名前があるのがその6人というだけで、10歳ずつ違う彼らの父母・祖父母も合わせて登場人物全員を年齢順に並べてみると実際にはほとんど穴がないくらい、あらゆる年代の男女が出てきます。舞台は昭和から平成の日本。

解説でAmazonのレビューが引用されているのには驚いたけれど、確かに昭和から平成の出来事と複数の人物の人生を入れ込むには約400ページは短い。断片的であり深みがないという見方も正しいのかもしれない。でも人物について言えば、前述したように特徴のない人物であることは作者が意図的にしたことだし、歴史の出来事がダイジェスト的で「そんなこと知ってるよという内容」であることについては、読む側が出来事だけに着目すれば当然のことで、史実を題材にした某テレビ局の大河ドラマにだって言えるのでは?と思ったり。

むしろ「何が起こったか」ではない部分が重要だと思います。憑依と言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが、その当時に生きてみなければわからない感覚的なこと─温度や湿度や匂いなどの、後には消えてしまうことが、自分が生きていない時代についても書けるということのほうが特異で、私が読みたいと思う理由もそこにあります。何が起こったかだけを知るなら何を読んでも同じ。でも自分の想像が及ばない部分を知りたい。橋本治の小説はそれを示してくれるように思います。例えば、終戦翌年、もちろん橋本治が生まれる前のこんな場面のような。

「昼には春のような日の差す冬の終わり頃、霜柱が立って溶け、人の足を滑らせるようなぬかるみを作り上げた道の水溜まりに、誰が置いたのか歩みの板が渡してあった。(中略)豊生の父はためらうことなく、人を通すために置かれた板の上に足を掛けた。古い薄板は音もなく軋んで足下を危うくさせたが、豊生の父はバランスを取って二枚目の板に足を踏み出した。豊生の父の体を支える足は、一枚目の軋んだ板に体重を掛けて、その重みで一枚目の板は割れた。慌てて踏み出した豊生の父の足は二枚目の板を踏み割って、足は冷たい泥の海に沈んだ。履き続けてボロボロになった布製のズック靴は、抜こうとする前に泥水に染まり、靴は冷たい水に侵された。豊生の父はぬかるみを一歩飛び、二歩飛び、道の端のまだ土がしっかりしているところに辿り着いた。濡れた靴は足から半分抜け落ちそうになり、着続けた国民服のズボンの裾も腰周りも、跳ねだらけになって、それでもまだぬかるんだ道は続いていた。豊生の父は泣きたいような気分で、『自分はぬかるみの上に渡された薄板のような世の中にいるんだな』と思った。」

橋本治『草薙の剣』


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