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自分で寿命を決めるとしたら

徳島に向かう高速バスの中でこれを書いている。

長らく自宅療養中だった93歳の祖母の容態が、いよいよ良くないらしい。
祖母に何かあってはいけないと、お盆も年末年始も帰省を見送ったのに、このままでは生きている間に顔を見せることも叶わなくなりそうだ。
緊急事態である。

息子がおなかにいる時から、いつこんな日が来てもおかしくないと言われてきた。
けれどおばあちゃんはそれから6年もがんばって、ひ孫の誕生も成長も見、米寿を迎え、90歳を迎え、昨年は2人目のひ孫の顔まで見て、生きている。

§

大学生の時だっただろうか、仲間内の会話で「長生きなんかしたくない」と冗談を言い合った。
老い、介護、闘病、死。今だって当事者としてリアルに想像できているとは言えないけれど、あのころはもっと漠然としていて、不安というより「嫌」だった。

翌日、駅のホームで昨日の会話を思い出して、
「もし今、自分で寿命を決められるとしたら、私は何歳と言うだろう」
と考えた。
電車はまだ来ない。よく晴れた日だった。

その瞬間、ブワッと込み上げる感情があった。


わたし、やっぱり100歳まで生きたい。


そう思った。

40歳には40歳の、60歳には60歳の、90歳には90歳の、その年にならないと知り得ない喜びが、きっとある。
私はそれを味わってみたい。
今の私が想像できない人生の景色を、見てみたい、と。

§

93歳は大往生だ。
長生きした。じゅうぶん生きた。

けれど6年前、私のおなかの中にいる“初めて”のひ孫の顔を想像して、祖母はきっと「まだ生きたい」と願ったのだ。


[一日一景]
___1日1コマ、目にとまった景色やもの、ことを記しておきます。

明石海峡大橋から見える海は、穏やかです。
平日毎日書きたかったけれど、書けない日も出てきそうです。
寝ていた息子が起きたので、この辺で。

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