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お父さんの好きなものは

パパ、おとうさん、とうちゃん、おやっさん、おやじ、おとん、おとっつぁん、ととさま、父上 ……

みなさんは どんな呼び方で呼ばれていますか

わたしの父は ごくありふれた “ おとうさん ”  時々 “ おとうちゃん ” でした



父がもし 今も生きていたなら83歳
8年前に他界しました
釣りと野球が大好きでした
昭和の無口な頑固おやじのお手本みたいな人
でもわたしには甘くて優しかった

四十数年前の母の手記


父は 若い頃から目が不自由でした
わたしが物心ついた時にはもうほとんど見えていませんでした
なので、大変だとか思う前に それは我が家にとっては当たり前のことで、ごくごく自然な 家族の、生活の、かたちでした


両親はふたりで酒屋を営んでいました
外出時は杖は使わず、父が外を歩くときには必ず誰かが付いていました
今思えば、商売なんてよくやっていたなぁと思います
わたしの知らないところで たくさんの方が力を貸してくださっていたのだと思います

実家の一階、両親の働く店で育ちました
立ち飲みカウンターの上にて


わたしも どうしても配達や集金に付き添わなくちゃいけなかったり、店番を手伝わなくちゃいけなかったりして
こちらの都合はおかまいなしに 突然お呼びがかかるのです
友達を家に呼んで遊んでいても、中断して待っててもらわなくちゃいけなくて ほんとはとてもイヤだったし、
あと、銭湯や 出かけた先のトイレの付き添いなんかもイヤでした
だってわたし、女の子だもん
けれど それは言えなかった
これがうちのふつうで 当たり前だったから
そんなことは 言ってはいけないことでした

勉強や成績のことに関しては 両親はひとつも何も言わなかったけれど、
宿題やテスト勉強を たびたび中断しなくちゃいけないのには いいかげんうんざりしたし、
中学生にもなると 父と手をつないで歩くことも恥ずかしいと思うようになって…
いろんなことがしんどくて 面倒臭くなりました
思春期・反抗期が重なり しだいに父にそっけなくなります

手をつないでいたのが 腕を持つようになり、そのうち肘のあたりをつまむようになって…
だんだんと触れる面積が小さくなっていきました

父はそんな変化をどんなふうに感じていただろう
やっぱり すごくさみしかっただろうなぁ
わたしが男の子だったなら、お店も日常生活ももっと手伝えていたのかもしれない

そんな時期を過ぎてわたしも大人になると、また腕を組んで歩けるようになったのだけど、
結局 父には “ あの時ごめんね ” って言えずじまいです



ずっと自由に憧れてた
ほんとはひとりで好きに飛びまわりたかった
でもそれは 父も母も同じだったはずです

わたしは理由を見つけて 23歳のときに家を出ました
それからは実家に 年に二度ほどしか帰らず、
いずれは大阪に戻るということも、店を継ぐということも 一度も考えたことはありませんでした

そんなわたしにも 父は最後まで何も言わずに優しかった
あの頃もっと優しくできればよかったのにな
せめて大人になってから ふたりでゆっくりお酒でも飲んで「ごめんね」って言えたらよかった

何も言わなかったけれど 両親はわたしの胸の内をぜんぶ理解してくれていたのかもしれません
父は 目は見えていなくても、その他の感覚は人一倍鋭くて敏感でした




父はやっぱりお酒が大好きでした
ビールも日本酒も焼酎もウイスキーも何でもいけました
体をこわしてお酒を控えなくちゃいけなかった時だって、母に隠れてこっそりと飲んでいました
「こらっ」ってわたしが冗談まじりに言うと、「言わんといてな」ってかわいく笑ってごまかしました

そうそう、意外にミーハーで新し物好きだったり、
 (自分が欲しいくせに「ちるからおかあに “ これええなぁ ” てゆうてみて」とか言う)
音痴だけど 歌が大好きだったり、
 (わたしの嫁ぐ日のために?芦屋雁之助『娘よ』をひそかに猛練)
店のお客さんにまでヤキモチ焼いてすねてたり、
 (オトナのややこしさをなんとなく知る)
飼ってた手乗りインコのぴーたろうに こっそり芸を仕込もうとしていたりして…
 (肩に乗ったぴーたろうは ちっとも言うこときかずに 父の耳ばっかりかじってた)

どこかかわいい おとうちゃんでした


***


最近では 家事や育児に積極的なパパさんも多くて すてきだなって思います
イクメンという言葉もすっかり浸透しましたね
料理家のふらおさん は息子さんから“とうと”って呼ばれているそうです
かわいい
ふらおさんの記事では、お忙しい方にも簡単にできるお料理や豆知識がたくさん紹介されています
ぜひご参考に
先日、油揚げを使ったおつまみが紹介されていました
お父さんのビールのおともにいかがでしょう


わたしは 父の日に、油揚げを炊きます
そしておいなりさんをこしらえながら、父のことを思います

お父さんがいて、お母さんがいて、わたしたちは生まれてきました
豪華なご馳走や 高価なプレゼントがなくても大丈夫
きっと真心が一番嬉しい
不器用だとしても、たいしたことはできなくても、少しでも気持ちが伝わるといいなと思います

どうぞ よい一日を、よい一週間を



おいなりさんは父との思い出の料理↓


配達や集金の帰りに父と寄り道する喫茶店↓



#113.   『 父 』

⭐︎遠き日の父の仕込んだ果実酒のならぶ棚にはちりの積もりて

⭐︎盃を交わす父とを浮かべて 色鉛筆でごめんねを

      ー ちる ー

お酒好きの日本一のおとうさんへ

金沢一の老舗酒造 福光屋ふくみつや
1625年(寛永2年)創業の歴史と伝統



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