人は皆、子供みたいに何も知らない
今、牧師先生が私(達)のために「この人たちが健康でいられるように、神様が今日も守ってくださって感謝します」と祈る姿を見て、ふとそう思った。
私の考えは日々、目の前のことで精一杯。
進路が決まらないとか、もっと痩せたいとか、おやつに何を食べようかとか
そうしてクヨクヨ悩んだり、せっせと自分のことに打ち込んでいる間も、牧師先生は私が健康でいられるように、今日も信仰が死なないように、栄えるように神様に祈ってくれていたことを知った。
親が子供を愛して、お金も時間もつぎ込み、数十年後の未来まで想って育ててくれても、子供はそれを一切分からず、時には反抗し、文句を言い、自分勝手に生きていく。
それと同じように牧師先生も神様も、私達が気付いていようがいまいが、いつも事故に遭わないように守り、問題が解決されるよう導き、時には奇跡も起こし、愛を注いでくれていた。
自分がそれに今までちゃんと気付いていなかったのを知って、私はもう21歳だけど、まるで親心を知らない幼稚園児のように思えた。
きっと神様からしたら、どんな賢い人でも皆、親心を知らず自由気ままに動き回る赤ちゃんみたいなんだろうな。
もちろん可愛いくもあるだろうけどね。
今日は無知なところから少し抜けられた気がする。
いつもより神様の愛があたたかい。
サポート代は、神様が喜ばれることに使おうと思います。 神様が愛する人々のために、あるいは教会のために、あるいは日曜日に神様にあげる花代にしようと思います。