丸〆猫2

『2 Black Bird』

正直、妻の残してくれたレシピノートと、娘のミヤコは完ぺきだった。それでも私は彼女が亡くなってから、彼女が残してくれたレシピノートは使わないようにと心がけていた。
それはただ、彼女の事を思い出してしまうから。

私は喫茶店の店主ではなく、一調理人を心掛けていたものだから、味と言うものが人の感情を大きく揺さぶることを知ってしまっているのだ。
だから、私は彼女の残してくれたレシピノートを調味料たちの裏側に置いてきぼりにしてしまったのだろう。
しかし今日に限っては、その誓いを破らなくてはいけない。
それはもしかしたら、いつもだったら客足が途切れることのないこの店に、今日に限って、お客さんが居なかったって言うことが影響しているのかもしれない。
それに、ずぶ濡れでやって来たお客さんが、妻の若いころに少しだけ似ていたからかもしれない。
どちらにしても私は数年ぶりに妻の残したレシピノートを手に取ったのだ。
調味料の裏手に身を隠す前に穴が開くほど読み通したそのレシピノートの1ページを私は開いた。
妻でもこの情景ならこれを作るだろう。
そのページタイトルには[ささみとレタスを使ったボレロ]と、記されている。
スパイシーな香辛料で味付けされたささみと柔らかいハーブを細かく刻んでレタスの上にさらさらと乗せる。
それを全粒粉の少し硬いパンで挟んで。
ハーブの香りがほんのり香るスパイシーなささみのサンドウィッチだ。
一通りの作業を終えレシピノートを又調味料たちの裏手にそっと戻した後、簡単なトレーの上にサンドウィッチを乗せて、私は調理場の扉を開いた。
調理場から出てきた私に、トマトと、ラディッシュの買い出しに出かけていたミヤコが

「なんで店をほっぽり出して、調理場にこもってるのよ」と、黄色の雨合羽のフードを外しながら憤慨するようすで不満を口にした。
その異様なイデダチに私はギョッとしたのだが「すまん」と、謝っておいた。
そうでもしないと、ミヤコはとめどもなくブツブツと言い出すのを私はとてもよく理解していたから。
ただ私はそういった後で「あのお客様に、熱いカプチーノを一つ出してもらえないかな?」と、注文する。
その言葉を聞いてミヤコは私に、再び不満をぶつけようとしたのだが、お客さんに気が付いたミヤコは愛想よく「わかりましたー」っと鼻を鳴らして雨合羽を脱いでスカイブルーの上着から二の腕を出して調理場へと向かっていった。そのミヤコの様子を見やってから私は、どこからか現れたカティサークを膝にのせて暖を取るお客様のもとへと、サンドウィッチの盛り付けられたトレーを運んだ。(これは私の椅子なのよ)と訴えるカティサークを相手にもせず、私と妻の作ったサンドウィッチをウットリと愛でていた。
お客さんは一口ずつゆっくり味わっていく。窓の外に視線を流しながら。

レジスター前で私はその様子を目の端で見ていた。
彼女の口が「おいしい」という形を作った時、私はなんだか救われた気がした。それが私の自己満足ではないってことを、タイミングよく『Black Bird』が表現してくれていた。

ひとまずストックがなくなりましたので これにて少しお休みいたします。 また書き貯まったら帰ってきます。 ぜひ他の物語も読んでもらえると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。 わんわん