見出し画像

「答え合わせ」の旅⑯

歴史を学ぶ


レストランで少し気力を使ってしまったが、次はさて海運博物館だな。
ちょっと遠いけど行ってみよう。オランダは昔貿易で財をなしたと聞く。そこにオランダの歴史が隠れてる気がした。私は日本史選択なのでよく知らぬのだけど。

トラムを乗り継いでも行きにくいようだ。トラムを降り、10分以上は歩いてやっと着いた。もう閉館まで1時間は切っている。
フリーパスを出すとまた受付のおばあちゃんにごちゃごちゃ説明される。なんか数字を言った気がしたから閉館時間のことか?何時に閉め出されるとかの説明だとこれは大事そうだな。聞き流せない。
まったく今日は英語デーだな。災難だ、とため息が出る。当たり前か、英語の国にいるのだから。

Sorry,I'm Japaneseで苦笑い返し。
わぁお!んー参ったわね、と私に渡すチケットをくるりとひっくり返し、なにやらごちゃごちゃかき始めた。

アナログ時計の絵をわざわざ描いてきて閉館時間が近いことを説明。いやいや数字は読めるのよ。なめてもらっちゃ困るぜ。
そして。んー、なるほどロッカーが地下にあるからそこに荷物おいてから回れと。そしてロッカーの鍵はこのチケットのバーコードだと。なるほどなるほど。
しかし一個言いたい。どうしてこっちの人ってかく英語こんな下手なの?あと絵もね。私がライティング英語もイラストもかき方を教えてあげたい。
スマホはええんか?と聞く。(もちろんスマホを見せてOK?と聞いてるだけ。)
OK!!とご婦人が急に親指を立て
グーググーググー!!!とまるでエドはるみ。ふぇ。Facebook,Instagramなどと口走ってたので、ぜひぜひSNSに載せて宣伝してくれ!と言ってるようだ。急なエドはるみは笑う。お茶目で可愛いおばあちゃんだ。

閉館間際の地下のロッカーは誰もいなくて不気味だった。おっしゃる通りのチケットでコインロッカーがロックできた。こんなシステムもあるんだなぁ。
とにかくこの国では渡されるチケットやレシートがなかなか大事。ぐちゃぐちゃにしたり捨てたりすると自分が大変。
駆け足で回る。ここには音声ガイダンスはないので自力で英語を読まなくてはいけない。

15分後。
よし。満足だ。圧倒的英語量に見事敗北。
外にある船を見に行こう。
運河と接する立地で船が停まっていた。しかもこの中に入って探検できる。ここも風が強かった。

立派なお船。
備品庫。

船内冒険はなかなか楽しかった。よくできてるなぁ!って造り。備品庫とかもあるし斜めった部屋の寝室とか船内がリアルだ。
子供と来たらほんとに冒険みたいで楽しいと思う。子供がいる友達におすすめしようと思ったが、ここはオランダだった。
そう簡単に来れないや。

荷物をロッカーから回収し、もう締め切られた受付には、エドはるみはもういなかった。バイバイエドはるみおばあちゃん。

気づけば夕方。9292を見てもここからホテルへは交通の便が悪そうだ。一旦近くのバス停でアムステルダム中央駅に行けるらしい。そこから2番か12番のトラムで帰ろう。スーパーも寄ろうかな。

いつの間にか記憶している最寄りまでのトラムの番号。もう考え込まなくても出口を突破できるスーパー。
気付けばこの国に馴染んでいる自分がいた。

いつも初めては怖い。やる前から不安に押し潰される。ま、どうにかなるか!って考えは生憎持ち合わせていない。
こうやって乗り越えられたときって別にサインがあるわけでもなくて。いつの間にかお腹が痛くならない日が増えたり、愚痴とか弱音の回数が減るぐらい。
自分のたくましさってこうやって自分で振り返らないと実感できない。振り返ってあげよう。
スキポール空港にいる私へ。
ちゃんと楽しめてるぞ。あなたが頑張ってくれたから。

一旦ホテルに帰る。ちょっとスマホの充電と用足し。てかこの部屋の清掃まだ入ってないのだけど大丈夫?
9292でトラムを調べると、そんなに時間がないことに気付き、慌ててまたホテルを飛び出した。

路線が違うようで、いつもと違うトラムの停留所へ。
工事中で通路が狭く人の交差が激しい。今回は行き先が簡単なAmsterdam Centraal Stationじゃないからどっち方向のホームだろ。
待ってるホームが違うことに気づきトラムの線路を横切って正しいホームへ。よしちゃんと乗れた。
着いた停留所からも運河沿いを少し歩かなきゃいけないようだ。地図を見ながら、ここらへんかなと思うと、人が増えてきた。

たどり着いた先はアンネ・フランクの家。

この場所は、世界各地から訪問者が絶えないとのこと。欧州の方がよりこのナチスの惨劇に胸を痛めている。
なんとチケットは一、二ヶ月前でもSOLD OUTなんてザラだそう。当日券の販売は朝イチで争奪戦。
私はこのアンネ・フランクの家を訪れるにあたり改めて図書館でアンネの本を借りて読んでから来るほどの女だから、しっかり予約完了していた。ほんと真面目だ。

QRコードを提示し、いざ入館。コートなどもクロークへ預ける。
そしてここでも。日本語音声ガイダンスに出会う。
先人たちの足跡を感じる。日本のみんなが先に来てくれたから私はここで母国語で解説を聞ける。ありがたや。
この数日であの白と赤と丸しかない簡素でつまらないデザインの国旗がとても神々しく見える。

どの言語か聞かれ、Japaneseを選択し、説明を受ける。これも部屋にピッとかざすとガイダンスが聞こえるみたい。風車博物館と大体一緒だっけな。観光スポットの仕組みもだいぶ理解できてきた。

ゲートをくぐってスタート。
流れる日本語は淡々と当時の状況を教えてくれた。
ときおり語気を強め、日常に異変と凄まじい恐怖が突如ふりかかってきたことを伝えてくれた。たびたび住まいを、国をも変えたユダヤ系のアンネ一家はアムステルダムの地で安住できるかと思いきや、すぐにまた情勢は変わり、人目にもふれてはいけなくなった。

ああいう境遇からか素直で可愛い女の子だった、と思われがちだが、見つかった日記は避難生活の様子だけでなく、本当はボーイフレンドのことだったり、日常のムカついたこと、人のこともズケズケ物言うこともあった。彼女は将来ジャーナリストになりたい、と綴っていた。白黒ハッキリ言うその性格は、その素質があったし、こうして悲運な形で世界的ジャーナリストとなって世界に現実を知らしめた。

神妙な顔つきで部屋の中の当時の写真や家財を見つめる訪問者たち。さまざまな言語のガイダンスに耳を傾ける。
国籍も育ちも違う人たちが同じ悲惨な歴史を共有する。こうやって世界中のいろんな課題に真剣に取り組める同志でいたい。

ラスト。本棚の後ろに隠されたアンネ一家の隠れ家の入口。その小さな入口をくぐり、階段を上る。
どれほどまでに改装をしてしまったかわからないが、ここに人が隠れて住んでいた。音も立てることすら禁じられ。
そんな様子を想像する訪問者たちの空気は重い。
この重みと緊張感を感じることが、ここに来た者たちの使命だ。

最後にギフトショップを回ると、そこには日本語が。
各国でいろんな本になっているアンネの日記。漫画にもなっているとの展示だった。5冊ほど展示してある漫画たちは全て日本語。日本のマンガ文化にこんなところで出会うとは。少し感動。

アンネ・フランクの家を後にして真っ暗な道をトラムの停留所まで。少し歩くようだ。ちょっとしゃべろうと思い、ライブを回した。
インプットだらけの1日。アウトプットもしなきゃ脳が破裂してしまう。
夜道を二回迷った。地図を何度も見返し、やっとトラムに乗れそうだ。今日はよく歩いた。ホテルへ戻ろう。

そしてその予約時間は刻一刻と近づいていた。
史上最大のフェルメール展。
この日はまだ終わらない。