「わたしもお小遣いが欲しい」と勇気を出した話

息子の園行事が無事終わり、毎度のごとくその後体調を崩したため看病に明け暮れること数日。

保育園復帰とともに、今期も冬のボーナスが入ってきた。

前々から「お金がー!」と書きまくってきたわたし。まとまった額が入ってきてホッとしたと同時に、今回はとあることを実行した。

それは、まず夫と自分へお金を分配すること。

きっと常識で考えれば、個人への取り分なんて後回しだろう。まずは貯蓄に回せ!と言われるのが、まあ普通だろう。

でも今回はあえて、それをしない。貯金がないのに、だ。

仕事の原動力ってなんだろう?

人によってそれぞれだろうけど、「働いたらその分お金がもらえる」というのはダントツで一位じゃないだろうか。

息子が保育園に入って、保育料の負担が増した今年度。夫の月々のお小遣いは減り、わたしに至ってはお小遣いはゼロ。

見かねた実家の父が、「洋服を買いな」「これで、好きなもの食べな」とちょこちょこくれたお小遣いでしのいでいた。

美容院も、洋服も、本当に最低限の回数と枚数だけ。それは別に苦ではなかったが、今回ボーナスの割り振りをしていてふと感じる違和感。

夫への分配、固定資産税、ローンなどなど。

その中に、「わたしへのお金」は一銭も入っていなかった。

毎月のお金は夫へのお小遣いと、あとは家計費。ボーナスも同じく。

あれ…?わたしも毎日色々頑張ってきたのに、なんで貰えないんだろう…。

「…わたしもお小遣いが欲しい」

夫に声を絞り出した。

実は新たなバイトの面接に落ちたところだった昨夜。とんでもない失礼な文面での不採用通知と、息子の看病に疲れ切っていた。

「…わたしもお小遣いが欲しい」

「稼げなくてごめん」

そう言いながらまたしても号泣し始めたわたしに、夫はオロオロとしながら、

「泣かんといて」

「そんなこと言わんといて」

と言った。

noteでは、できない自分でもオッケーとか、自分へのハードルをめっちゃ低くしようとか、色んなことを書いてきた。

でも、それを全然実践できていないのは他でもない自分自身だ。

「稼げなくてごめん」

この言葉が無意識に口からこぼれ出たとき、わたしはそこまで自分を許せていないんだと気づいた。

きっと同じような状況でも、「生活できてるんやから平気♬」と悩むことすらしない人もいるはず。

わたしにはその、「おいおい!」「無邪気かよ!」と突っ込みたくなるくらいの「ヘラヘラ具合」が圧倒的に足りていない。

そりゃあ、現状を前にして「なんとかしないと!と思ってます!」「まだまだ頑張りが足りていないんです!」という態度でいた方が周りからは叩かれにくいだろう。

でもその思考が、今の「なんともいえん」現実をつくっている。

そう、結局わたしが今のわたしを許すまでお試しは続くのだ。絶妙に苦しい展開を目の前に繰り出してくる。

それを前にして、「へ?だから?なんとかなるっしょ」とヘラヘラ構えるのか(問題視しない)、「ああ、まただ!また大変なことが!」と自分を鞭打って追い込んでいくのか(超問題視する)。

少なくとも今年一年、自分を追い込み続けた。そして、ただしんどいだけだった。だから、その方向はもうやめようと思う。

「…わたしもお小遣いが欲しい」

今年、一度も口にしていなかった言葉。お金を稼げていないわたしは、お金をもらってはいけないと戒めていたからだ。

夫はそんなこと考えてもいなかった。毎日がんばってくれてるんだから、お金をもらってよと言ってくれた。

その金額(3万円)は人によって多いか少ないか感じ方は異なると思う。わたしにとっては充分に楽しめる!金額だ。

久しぶりの万札さんだなあ♬と朝からほくほくしている(早速ドトールに来てこれを書いている)。

常識とは色々とかけ離れているだろうけど、今回はこれがベストだった。夫もわたしも、この一年充分にやってきた。

主婦のみなさん、ママのみなさん。

お小遣い、もらってますか?



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