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おかえりなさい

子どもの頃は

大人はお金があって 時間もあって

大人から制限を受けることもなく

好きなことだけを好きなだけ出来る

とても羨ましい生き物だ

と思っていた


しかし、
いざ大人になってみると

それなりのお金と自由を手に

大人は、
自分のことをいくらでも後回しに出来る

自分と遊ぶ時間なんてどんどん忘れてしまう

生活に埋もれ
コミュニティーに埋もれ

日常のルーティンの中で

外身 の自分は楽しんでいても

中身 の自分は居なくなってしまう

そんな からっぽになるラクさ ばかり覚えてしまった


生憎、

大人になったら

大人は大人に正解を教えてはくれない

テストのように採点も無ければ

あったとして
その点数が悪くとも怒ってなどはくれない

何故なら
大人もまた正解を知らない。

何故なら
大人に正解なんてハナから存在しないのだ。


だから
不自由のない教育の流れに乗って
気が付いたら 大人ですね、と放り出され

漠然とした不安をコミュニティーに埋葬し

埋葬する時間を割くために自分を後回しにする

社会人=大人 の虚しさ・寂しさは
きっとそういうラクをする摩擦から来ているのだろう


そういった意味では、
私のようなからっぽの一人暮らしには

コロナは強制孤独装置だ

電車でも喫茶店でも人の隣や対面には極力座らない

SNSにアップするために行く流行りの喫茶店は閉まっている

日常の鬱憤を晴らすため友達と行く居酒屋も閉まっている


もちろんこんな状況なので
経済的な 今後の生活 へ不安は大きいが

このように 外身 が制限を受けることによって

中身 が 今だ!と走って追いかけて来ているのを感じる


先日、

近くに住む幼馴染と

自転車でスーパーへ行った

各々の食材の買い出しを済ませ

帰り道、名残惜しくも 

じゃあね、と道を別れたその時

小学生の時 別れ際によく感じていた
独特の寂しさが
自転車で夕方の風を切る肌から、
なんなら毛穴から
ぶわっ と蘇って来た

凄く懐かしくて

凄く愛おしい気持ちになった

 
学校と家だけの小さな世界で
夕方には家に帰り
夜は家で有り余るパワーと時間を
持て余していた
小さな私

そんな小さな私が
夕焼けの遠くの空で
おーい! と手を振っている


現在、私の仕事も
営業時間短縮や
出勤はせずに自宅待機と言われる日が増えて来た

金銭も余裕が無くなるし

家の中で

本を読んだり、お菓子を焼いたり、

昔のように自分と遊ぶ時間が増えている

そして、
その中で 中身 の小さな気持ちの波をかき集め
その微振動をゆっくり味わえるということは
凄く幸せで
凄く満ち足りた気持ちとなれる


自分の時間をやりくりするのが下手くそな私は

いつからかこの小さな声が聴こえなくなってしまったことを嘆いていた

そして何故聴こえなくなってしまったのか
正直 検討もつかなかった。

しかし、
強制孤独装置のスイッチが押されたことで

私がおばあちゃんになり働くのを辞める時まで成し得なかったかもしれない

中身との穏やかな時間を過ごしている。


同時に、
いかに 外身 が生活をこなすためあくせくしていたのか思い知り、

その中でいかに友人や仕事が支えとなっていたのかを想い、
ありきたりではあるが感謝せずにはいられない。


日本の強制孤独装置のスイッチがいつOFFになるのか まだまだわからない

だが、
せっかくなら私はこの装置を自身に取り入れ
ON/OFFを自分で使いこなす鍛練の時としようと思う。

どうやら大人は 外身 と 中身 のバランスが大切だ
そして、均等を測るのは非常に難しい

自分でこの装置を使いこなせれば
きっと私の生活で

 中身 はもっとおしゃべりになり  

外身 も無理はしなくなるだろう

そうすれば 日常 は
ラクに自分で彩りを豊かに出来るのではなかろうか

今日も自宅待機の日

私は私と存分に遊ぼうと思う。

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