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ご飯2合

最近、食欲が爆発したことから秋を感じている魚亭ペン太です。

とてつもなくありがたいことに、ご馳走になりまして、やはり人間にとって「食べる」という行為は人生の喜びの大半を占めているのだなと改めて思わせられます。

生き物の基本として、生きるために食べる。それは自然なことですが、人間はそこに感情を持ってくることができるのですから、今後とも食べ物を食べられることに感謝をし続けていきたいですね。


私生活の食事の方でも、色んな工夫を意識してまして、近頃は色んなスーパーに足を運ぶのが楽しみの一つになっています。

あの焼きたてパンのコーナーから漂う香りは、通るだけだと新手の拷問か何か?とすら思えますが、いつかあれを遠慮なく食べてやろうと勢いこんでます。

かといって食パンじゃだめなのか?と言われたらそんなことはなくて、食パンだからこそできる色んな工夫、組み合わせが無限大という、あのポテンシャルの高さは節約を意識すると素晴らしく思えてきますね。

そのまま食べる食パンがいいように、食事には常に感謝をしなくてはいけませんけれど、だからといってなにも全部が全部、全力で向き合う必要もないんですよね。流石に疲れちゃいますから、どこかでこううまく力を抜くというか、楽をすることも大切なんですよね。

出来合いのお惣菜とか、焼くだけで食べられる味付けされたお肉とか、お弁当とか。外食とか。

「作ったほうが安い」とか「手作りは愛情表現だ」「外食は高い」という声もありますけれど、切り詰めすぎた反動で衝動的な無駄遣いをするよりかは、程よくガス抜きはしたほうがいいと思うんです。大前提として、何より食事を楽しめなくてはいけませんから。

とくに揚げ物やサラダといった出来合いに頼ったほうがいい。これを作ろうとするとせっかく美味しく作れても、ランニングコストとか片付けとかネガティブな感情によって美味しさが激減してしまうと思うんです。

そんな前置きを長々と話していますのも、晩御飯に食べた「にんにくの芽の肉炒め」がなかなかに良かったんですね。

味付けされている状態でパック詰めされていて、フライパンで炒めるだけで食べられて片付けが楽で、しかも割引されてたので安くて美味しかったという。思わず米をニ合も食べてしまったという……高校生かよ……

「美味しい」だけでなく「簡単」「片付けが楽」「安い」「ご飯がすすむ」という情報があるだけで「美味しくお腹を満たせた上に得をした」となるわけです。

とまぁこんな具合に「感情という調味料」はプライスレスですからどんどん使いこなしてやろうと、

とりとめもないお話でございました。

美味しいご飯を食べます。