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「相手の気持は考えた?」

金メダルをかじった出来事に対していろいろと思うことがあるけれど、ニュースで取り上げられているのをみて「なんで?どうして?何を考えているの?」という疑問が次々に浮かんだ。

「次に何を考えているんだ」と思考回路を疑った。どうしてこんなことをするのかを考えてみた。そして、同時にこういうことをしていないかと自分に問いかけてみる。

していない。と断言をしても「もしかしたらこれは相手が不快に思うかもしれない」という答えにたどり着けなかったら、結果的に同じことになってしまう。だから、常にこの「相手を傷つけるかもしれない」という思考回路を持ち合わせたい。

何気ない会話の中にも笑えない冗談や言うべきではない言葉で、場の空気が凍るようなことがある。「それを言っちゃいけないでしょ」と周りもはっきり言わないが、そういうときは空気がツンと張り詰めて静かになる。でも、言っている本人は気がついていない。なんてことはよくある。

問題行動だと指摘されてから慌てて取り繕うこともそうだし、人の気持ちを蔑ろにする大人が少なからずいること、また、こういった相手の気持ちに気がつけない考え方が未だに世の中にあることが恐ろしいというよりも気持ち悪いと思ってしまう。

そして何より素直に謝らなかったことが尾を引いた。「愛情表現だった」これは酷いいいわけだ。

恋人や家族、子供を殴って「愛情表現だった」「躾だった」と言うのと変わらない。

どうしても「言葉」というものは発信する側と受け止める側で一致をしないと不具合が生じてしまうものだけれども、この言い訳も「相手がどう受け止めるのかを考えられない発言」だったなと思う。

問題を起こした人にも生活はあるし、皆で叩いたからと言ってこの出来事がなくなるわけでもない。結果的にこの出来事を反面教師として皆で気をつけていくしかない。

そして、自分に置き換える。

こうして物を書いたりしていると、作り話とはいえ、突拍子もない事件を起こしたり、特徴的な人物を作り上げてしまう。

言葉を扱う以上、万人に理解されないことは常に意識していきたい。

美味しいご飯を食べます。