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でもしか先生-教職志望の大学生に伝えたい

最後まで読ませるのも申し訳ないので、先に結論を書いておく。大学生に言いたいことは3つある。

・教師になりたいと思う気持ちが、とりあえず大事。

・教師に「でも」なるか、教師「しか」なるものがなくても、構わないと思う。

・向いてないと思ったら早くあきらめて次の仕事をみつけよう。

ここからは自分語りである。よかったら、お付き合い願いたい。

教員採用試験を受験して、私は不合格になった。性犯罪でニュースになった人たちでも合格できたであろうその試験で、私は不合格となったのだ。比べ方がおかしいけど、私は性犯罪以下の人間なのだろう。

たしかに、不合格になるべくしてなった。「なぜ教師になりたいのですか」「なぜ○○県の教員になりたいのですか」「○○県の教員像について思うことは・・・」そんな質問に答えられないのである。ただ教師になりたい、とぼんやり思っていただけである。そういえば、「でもしか先生」って、大学で習ったっけ。自分はきっとでもしか先生なんだろうと思った。

でもしか先生とは、教師に「でも」なるか、教師に「しか」なれない、という後ろ向きの言葉である。戦後から高度経済成長期にかけて、ベビーブームで生まれた子どもたちの数に対して、教師の需要があった時代に作られた言葉であるが、少子化の今もきっと、「でもしか先生」が多くいるのではないかと思う。

教育現場では、情熱があって、熱心な先生を求めているはずだ。しかし、私にはそこまでの熱量がない。強いて言うなら、私の教育のポリシーはこれである。

・他人の失敗に寛容になり、カバーできる人間になれ

数年考えた末に行きついた答えであるが、これは、別にどの教科でもいいじゃないか、どこの自治体でもいいじゃないかという指摘には耐えられない。その通りである。

教師を志したのは、高校生の頃だった。特に将来やりたいことがなかった。強いて言うならAV男優になりたいとは思っていた。ただ、あの頃は、授業でとるノート、もらう教材に不満を感じ、教材を自作していた。国語、社会、理科、英語、保健(性教育)・・・数学は図形の描き方がわからなかったけど、教師の仕事ってこんなものか。俺も教師になれるかもしれないと、妙な自信を持ち始めた。

とりあえず大学へ進んだ。無事に教員免許を取り、教育心理学を究めるために大学院までおかわりして、教員採用試験は不合格だったので私立の教師になってみた。公立は高尚な理想を掲げないと合格できないが、私立は模擬授業をして、問題なければ好印象で面接もじっくりしてもらえる。無事に教師になれた。

私の場合は、教職は想像通り。驚くべき発見もなければ、地獄に落ちるような絶望もなかった。授業をして、特に苦痛を感じることはない。「キレたらやばいが、普通にしていればおもしろい先生」と陰で言われるようにもなった。この先約40年教師として働く覚悟もできた。

厳密に言えば、私は教師に「しか」なれなかった。学生時代に学習塾も経験してみたが、あれは営業第一の仕事で、私には向いていないと、勤務初日で直感した。

私は教師になりたいと思う気持ちを貫いて無事にそのままなれたが、周りにはすぐに教員を辞めた人もいるし、過労や精神を病んで休職した人もいる。今、進路に悩む大学生に声をかけるなら、何を言おう。就活で悩み、教職に就こうかも悩んでいる人もいることと思う。将来のことなんてわからないのに、公立の教師になるには、正直者が苦労する問答の練習をしないとなれない。私立の教師も、空きがあればよいが、ちゃんと就けるかは運次第だ。再掲すると、次の3つになる。

・教師になりたいと思う気持ちが、とりあえず大事。

・教師に「でも」なるか、教師「しか」なるものがなくても、構わないと思う。

・向いてないと思ったら早くあきらめて次の仕事をみつけよう。

みなさんの将来に幸あれ。私も必死でこの仕事にしがみつくから。

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