思考のクセとは厄介なもので
先週はとんでもない厄日、いや、厄週だったという話をしました。
シャワーヘッドで唇を強打しただの、2時間分のExcel作業が白紙に戻っただの、自転車がパンクしてただの。
が、同時に心の片隅で思っていたことがあります。
脳みそのド真ん中に何を置くか次第なんだよなぁ、と。
この記事でも書いていたように、週の頭はわりと良いスタートダッシュだったんです。他にも小さな良いことはそれなりにあったはず。
でも私はそれを脳みそのド真ん中に置かなかった。
代わりに、ちょっとしたバッドニュースたちを並べ崇め奉った。
だけど、唇の血豆はなんだかんだその週のうちには治ったし、2時間分のExcel作業も2回目なら1時間足らずで終わったし、自転車のパンクはちょっと特殊なタイヤなのに、運良く在庫があってものの30分で修理してもらえた。
そのバッドニュースにすら、すぐ後に小さな良いことはあった。
なのに、私はそれをスルーした。
ネガティブに意識がいくのは生き抜くための人間の本能だから仕方ないけれど、同時に理性も持ち合わせている私たちはコントロール出来んこともないはず。
頭も心も、隅っこではそれを分かってる。
にもかかわらず「聞いてよ!災難ばっかりだったのよ!」と叫びたくなる。
これはもう、本能に加えて思考のクセもついてしまってるんですもの。
1日の終わりに、今日の良かったこと、小さな幸せを振り返って日記につけてみましょうってヤツも、正直、背中がムズムズしてできない。
私のペン先が綴るのは、今日の反省とモヤモヤ案件と相場が決まってるんですもの。
1日の終わりに、布団に入って「はぁ〜〜今日も頑張った〜」と自分を労ろうってヤツも、上っ面でしかできない。
暗闇で私の脳内を駆け巡るのは、「がぁ〜〜疲れた、何もしてないけど疲れた、いや別に何もしてなくはないけど、いやでも何もしてないか、私にはスキルも何もないし」という自己卑下か
「てかあれ、私悪くないよな、やっぱ腹立ってきた、いやでもさすがに幼稚か、私にも非があったもんな、いや私にもってことは相手にもあったってことでやっぱり…」という脳内紛争と相場が決まってるんですもの。
このクセを塗り替えるのは、一筋縄ではいかないって話どすえ。
一旦始まったら、その思考のクセにハマってることにすら気づけないからな。
そんなときは、やっぱりこうやって文字にしたり、誰かに話したりするのが肝なんだろうな〜と思う月曜の夜でした。
現に、先週わめき散らしたことで、今やっと冷静に客観視できているので。
客観視にもトレーニングが要るよね。