意味を求めすぎた自分とダメシール

どうも~千夏です。

今回はただの近況報告。

この文章を読むのが初めての人もいらっしゃるだろう。そのため簡単に今回は珍しく自分のステータスを記しておく。



自分は実家暮らしの大学生。家族のおかげでお金に困っていない状況に感謝しつつ、バイトをしていないことに強いコンプレックスを抱いている。



この二文を読んで読者はどう思うものなのか。読者だけじゃない、周りはどう思うのか気にしすぎて辛くなった。

バイトをしていない理由はただ一つ。タイミングを逃したから。

吃音で落とされた面接のトラウマから立ち直れなかったことと勉強をするだけで手いっぱいだったこと。ただそれだけ。(今も応募したり、探したりしています。)

サークルやそれに準ずるものに属し、資格試験も少ないながら受ける予定はある。好きなこともやっているけどなんだか満たされなくて常に自分探しがやめられなかった。

簡単に分かるはずなどないのに

自分は生きる意味を問いかけるのがやめられない。

周りは優しいけれど、自分は何もできていないという思いが強く、恐らく自分がその問いかけがやめられないのは「自分には何もできないし、価値もない」という思い込みだった。

思えば、いつも必要以上にあらゆることに意味を見出そうとしてきた。

そしてもちろんそのとおりにできるはずなどなかったのである。

自分に対しても、何か買うものに対しても意味を求めすぎるというのは結構しんどい。

それにやっと気づいた。

このnoteだってそうだ。大きな意味を求めてやっている人は結構少ないけれどそういう人を見るとあれ?と思ってしまう。

そんなおおがかりなものではないからだ。

もちろんnoteをやるメリットはたくさんあるけれど、意味を求めすぎている人を見ると身構えすぎでしょと思ってしまう。

そしてそれは自分自身のことでもあるのだ。

大したことを書いてもいないから消してしまおうと何度思ったか分からない。

バイトに対してもそうだ。昨年はバイトに受からなかったら、やらなかったら、周りに認められないのではと思っていた。実際に「まだバイトやっていないの?」と馬鹿にされたこともある。簡単に見つからない上、このコロナ禍でしかも対面と遠隔の繰り返しで疲弊しきっていたため、なかなかできなかったのにと夜一人で何度も泣いた。吃音持ちでもなければバイトの面接に落とされてもないあなたには分からないといらだった。だけど本当はそうやって世間体を気にして、あらゆることに意味を求め続ける自分が一番嫌だった。

別に彼女に評価されるためにバイトをしようとしてるわけではないのだから。バイトをしなければ、友達ができないなんて思い込みだった。相手の事情(今回の場合は吃音のこと、コロナ禍の状況、そして自分の住む地域は比較的バイトが見つかりにくいということ)を考えようともしない人などこっちから願い下げだと思うようになった。

本格的に自分の価値観が分からなくなったのは昨年終わりからなのだが、それもあらゆるものを疑い、あらゆるものに意味を見出そうとしたからだった。note記事、お笑い、歌、ドラマ、買い物、商品、成人式、同窓会、大学、サークル、生きる意味。

あらゆることに価値を、意味を求めては辛くなることばかりだった。

意味を求めているだけではなかった。意味を求める理由として自分のやっていることが良いのかという不安が常にあった。

良いか分からないから意味を求める。すると信じられなかったものの価値がさらにぐらつくようになってしまうのだ。

こんなことを考えるうち突然「You are special」(日本語のタイトルは「たいせつなきみ」)という作品を思い出した。

これは中学生の頃学校で見たアニメだ。どちらが先なのかは分からないが絵本もあるらしい。その作品に出てくるのがタイトルにもある「ダメシール」である。悪い評価を示す「ダメシール」と良い評価を示す「星シール」でお互いの評価をつけ合う村に住む彫刻人形の主人公がある時そのシールを寄せ付けない少女と自分を作ってくれた彫刻家に出会い評価を気にしなくなっていく話だ。

ダメシールばかり貼られていく主人公に自分を重ね合わせ泣きそうになったのを思い出す。自分もそうだったからだ。ダメシールばかり貼られた高校時代が忘れられなくて星シールを貼られるようになった今の環境を楽しめないのだ。辛いのは良い評価を受けても疑ってしまうことだ。評価を全く気にしないのは無理だけれど、自分の価値を探し続けるのがいかに自分を苦しめていたのかは分かった。星シールの価値すら信じていないのに、それでも価値を信じていないシールを求めてしまうのだから苦しくて当然なのだ。


作品に答えがあるわけではないけれど、作品を思い出すと辛いことがちょっと辛くなくなる。

だから自分はドラマや映画、物語が好きだし、これからも見続けるのだ。

そしてそんな考え方を伝えてみたいから書く。

別にたいそうな意味なんてなくても良いのかもしれない。

心からそう思うことはまだないけれど、なんだか書いていてモヤモヤが少しスッキリした。

ではこんなところで終わります。

ではまた~