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39歳ワーママ、大学院生になることにした。

4月から、大学院に通うことになりました。
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科に通うことになりました。

育児もして、仕事もして、いちおう会社も経営もして、、ときっと大変だと思うのですが、それよりもワクワクが大きい今の気持ちです。

なぜ大学院に行きたいと思ったか、どうしてこの大学院にしたのか、どうしても言葉に残しておきたくてこのnoteを書くことにしました。

アウトプットを出し尽くした危機感

今年の3月で、コピーライター・クリエイティブディレクターとして独立してから、まるまる8年が経ちました。その間に子どもが2人生まれ、会社を設立し、記憶がないほどがむしゃらに働いてきました。

妊娠中はお腹の上で仕事

私の仕事は、広告をつくること。「お客様にもっとも商品の価値が伝わる方法」を考え、デザインの構成をつくり、コピーを書き、アートディレクションをし、クライアントとディスカッションしながら広告をつくり上げていくことです。そのため私の仕事は、アウトプットすることが中心です。

この8年間アウトプットをし続けてみて、もっともっと、アイデアや経験を増やすような「インプット」の機会が必要だと思うことが多くなりました。

私が担当する商品のお客さまは、思春期の中高生から、健康不安を抱えるお年寄りまで、老若男女さまざまな方がいらっしゃいます。
また私の担当するクライアントの抱える経営課題も、さまざまです。

そのような多種多様なひとの問題解決をするのが私の仕事なのに、私はほとんど自宅でひとりで仕事をすることが多く、なかなか自分と近い属性以外の方と触れ合う機会がないのが現状でした。すると考え方やアイデアがどうしても凝り固まってしまいがちです。

私はこの15年くらいずっと広告からのお客様の反応を見ていますが、とくにここ最近は情報量が増えたぶん、お客様の飽きるスピードが劇的に速くなっていることに驚かされます。広告をつくる私だって変化しなければ、時代に取り残されていくのは時間の問題です。

新しいアイデアや方法は、今いる延長線上で探すより、今とは違う環境に身を置いてみたほうが、きっと生まれやすい。となれば広告クリエイターとして進化するために、今とは違う刺激を得る「インプットの場所」が絶対に必要だと思いました。

そうしたとき、20代後半であきらめた「大学院進学」がふと、頭をよぎりました。あの時は会社をすべて辞めて行かなければならずギャンブル120%の挑戦でしたが、今は自分で会社を持って仕事している分、時間を自由にやりくりすることができます。二人の息子たちも、手がかからなくなってきました。

そこで夫に「大学院に行こうかなと考えているんだけど・・」とぽろっと話すと、夫はすぐに「いいじゃん!応援するよ!」とかなり前向きな反応を返してくれました。

これはもしかしたら、大学院へ行くべきタイミングかも?

そんな感じで、大学院を調べ始めたのが昨年、2023年12月のことでした。
受かるともわからないのに学校のことを調べる時間はワクワクして、留学を考えていた時期を思い出しました。私はさっそく、卒業した大学からの卒業・成績証明書を取り寄せました。(万が一受けなくても、数百円の損失ですみます)

迷う私を後押しした、アメリカの出来事

とはいえ、いざ大学院に行きたいと思ったのに、迷う理由はいくつも出てきました。

大学院の受験ってかなり大変じゃない?
受かっても、育児と仕事と両立できる?
学費も高いし・・・・・。

大学院を卒業し修士号を取得したからといって、私の場合はこの先どこかの企業に雇われて働くことを想定していないので、「履歴書に箔がつく」メリットはありません。大学院に行くとなったら、仕事を減らす必要がある=一時的に収入が減る可能性もあります。学んだことが直接仕事に生かされる保証はどこにもないのに、膨大な時間とお金が減ることだけは確実です。

そこまでリスクを背負って行かなければならないの?何度も自問自答しました。

調べるとオンラインで格安で受講できる講座も多数あり、そっちで良い気がしてきました。「やっぱり大学院は、やめることにした・・」夫にも告げ、自分の気持ちに蹴りをつけ、12月末に予定されていたアメリカ旅行へ出発したはずでした

しかしアメリカで、私の大学院進学への気持ちを確固たるものにする、2つのことに出会ってしまったんです。

その1つめが、サンフランシスコで行った「チルドレンズ・クリエイティビティ・ミュージアム」です。

館内はカラフルでポップで、入るだけでワクワク

未就学児から10代の中高生まで、「クリエイティブ」を楽しめるミュージアム。ここで私は、アメリカでイノベーションが生まれる理由を目の当たりにしました。

工作やお絵かきやLEGOだけでなく、アニメやミュージックビデオをつくったり、自分だけの音楽をつくって、それをデータとして持ち帰ることもできます。この日も、10代前半くらいの子が、音楽を作ったりアニメをつくったりして楽しんでいました。

ステップで音楽を作れるコーナー

うちの7歳と5歳の息子が楽しんで遊んでいたのは、「自分でパラシュートをつくって飛ばせる」コーナー。

用意されていた布・ひも・紙・空き箱・リボン・モールなどから、自由な形のパラシュートをつくり、こんな感じで下から吹く風にのせて上に飛ばすことができます。

「どんな形をつくれば、もっともっと高く速く上に飛ばせるかな?」

息子たちは誰に指図されるわけでもなく、自分たちでパラシュートを試行錯誤しながらつくって、飛ばすことを時間を忘れて楽しんでいました。最後は「もっとここで遊びたい!」と駄々をこねられたほど。

そして私が衝撃を受けたのは「ミステリー・ボックス・チャレンジ」。自分がイノベーター(発明家)として、ミステリーボックスの中にある問題を解決するプロトタイプをつくるというもの。

私がもらった箱の中には、「ペンギンが人間と会話することを助ける道具」を作れというお題が書いてありました。プロトタイプというと難しく聞こえるかもしれませんが、要は空き箱やカラフルな紐や紙、クレヨンやハサミなどでつくった工作です。
しかしよくある工作教室などのように「ただ単につくる」だけでなく、「ある問題を解決するために何かをつくる」という目的が明確にあることが画期的だと思いました。

みんなのつくったプロトタイプが並べられている

私が日本で受けてきた図工の授業や、絵の教室では、先生や上手な人がつくった「お手本」があって、その通りに描けることが良しとされてきた記憶があります。しかしここではそんなお手本はなく、

「自分で考えてオリジナルな解決策をつくること」

が最も重要視されているように思いました。だから他人と違うアイデアやクリエイティブは「不正解」ではなく、「ひとつの正解」として尊重されている空気感があります。私はこれこそが、アメリカでクリエイティブが発展し、イノベーションを次々と生み出している理由だと思えました。

日本にもこんな空間が欲しい!

そう思うのは、ごく自然なことでした。やっぱり私は、もっともっと海外の事例を学んで、海外の良いクリエイティブの流れを、日本に取り込むことが必要だと思いました。そのための勉強や活動だったら、時間を惜しまずできる気がするし、何よりものすごくワクワクしました。

そして大学院への気持ちを後押しした2つめの出来事は、Uber運転手との会話です。先日noteに書いて、多くの方に読んでいただいた内容です。

この運転手はアメリカの教育について、こんなふうに言っていました。

アメリカでは、どの子も『お前が一番すごい』『お前は素晴らしい人間だ!』と言って育てられる。すると教育で自尊心が生まれるので、仕事で何かを任された時も「自分ならきっとできる、とりあえずやってみよう」と思えるんだ。失敗してもいい、できると思うことができるんだ。

私はこれを聞いた時、アメリカでイノベーションが起こるのは偶然ではなく必然だと思いました。間違っても失敗してもいいから、とりあえずやってみようと思えたら、チャレンジの数が増えます。「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」というように、打数が増えれば、それだけ成功の数も増えるからです。

私は大学院でクリエイティブ教育に関する研究をすることが、自分のクリエイティビティを高めるだけでなく、日本全体のクリエイティブ力・イノベーション力を高めることに繋がるのではないか、という仮説を持ちました。

そうと決めたらあとは、チャレンジするのみです。受かるか受からないかわからないけど、とりあえずやってみよう。私はアメリカ旅行中に、大学院受験の本をkindleで何冊も買って、読み漁りました。Airbnbで借りたアパートの中で、早朝からせっせと志望理由書を書き始めました。

慶應義塾大学大学院に決めた

この流れだと、アメリカの大学院に進学するのが、最も自然な流れだと思います。

しかし私には、7歳と5歳の息子たち、そして夫もいます。彼らは日本の生活を満喫しているし、私だって仕事を日本でしているので、今の生活環境を全て変えることは難しいのが現状です。それにアメリカの学費はとんでもなく高い。

日本の中で、なるべくグローバルで、かつクリエイティブ教育を専門にしている教授がいる大学院が候補に上がりました。そうしてさまざまな大学院を調べる中で、私がいちばん興味が湧いたのが、慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科でした。

まずこの大学院の学生の、40~50%が海外からの学生だというんです。それに教授や学生の専門分野も多種多様です。
スタンフォードの教授やデザイン会社「IDEO」の創設者も「多様性のある環境の方がクリエイティブは生まれやすい」と言っており、凝り固まった思考に課題を抱える私としては最もワクワクするポイントでした。

さらに子どものクリエイティブ教育を専門にする教授がいらっしゃり、その教授の書かれた書籍を全て読んだところ、まさに私の考えていることと合致したのも大きな志望理由となりました。世界各国の大学にネットワークがあることも魅力的でした。

そうして慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科1校だけに絞った受験にすることに決めました。

周囲の応援が力になった

受験を本格的に決めてから、1次試験の受験日までは、たった12日しかありませんでした。その間、用意しなければならなかった研究計画書や志望理由書などは2万字以上。そのために読むべき本は数十冊。それらに追加で、業務のポートフォリオや職務経歴書をまとめ直すことが必要でした。お正月休みだったとはいえ、かなりスピード勝負の戦いでした。

しかしこの受験、私にとっては心から面白かったんです。本を読むのは大変でしたが、その内容は全て興味のあることです。今まで私がやってきたクリエイティブの通常業務が「マラソン」だとしたら、本を読んで知識を得ることで、私が走る様子を「ヘリコプターに乗って俯瞰して眺める」ような感じがしました。これはきっと大学院でも楽しめるだろうと、受験勉強をする中で自分の気持ちがより固まっていくのを感じました。

夫はその受験期間中、あえてひとりの時間を取らせてくれ、子どもを見ていてくれました。子どもたちは、合格発表前に神社で「ママの大学院がうかりますように」とお祈りもしてくれました。

ありがとう。涙

仕事先の大先輩も、今後ご迷惑をおかけするかもしれないにも関わらず応援してくれ、心底ありがたく感じました。

また今回、志望動機書の添削でお世話になった大学時代のゼミの教授も、数年ぶりに連絡したというのに、アドバイスと温かな応援コメントをくださいました。

この期間に偶然会った友達の何人かには、この話を打ち明け、応援してくれたり、LINEで励ましてくれたりしました。仕事で忙しいのに、面接の練習に付き合ってくれた人もいました。

こんなふうに応援してもらうのがすごく嬉しくて、私も誰かが挑戦する時は全力で力になれる存在でありたいなぁと思ったのです。

そんな周囲の方々の応援と協力のおかげで、私は無事、大学院の合格通知をいただきました。合格者は思ったよりずっと少なく、日本人だけで10人ちょっとだったようです。

ついに4月から大学院が始まるのですが、今後、仕事はできる範囲で並行してやっていくことを考えています。このnoteでも、私の大学院生活の様子をつづっていきたいと思います。

長々と、私の決断の話を読んでいただきましてありがとうございました。次回は、受験を決めてからどう受験勉強を進めたのか、その方法を書きます。大学院受験を考える方の参考になればいいなと思っています。

コピーライター 小森谷友美
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46日間で慶應大学院に受かった方法

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