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27歳。仕事をやめて海外へ行ってわかった、私が働く理由。

「戻ってきても、席はないよ」
「もう、今みたいな大手クライアントの仕事はできないよ」
「中華料理店のウエイトレスになるしか、道はないかも」

今から9年前の夏。
当時27歳の私は、新卒からずっとお世話になった広告会社を休職。中国への留学に出かけました。そのとき上司や親を含む周りの方々は、私を心配してくれ、そんな言葉をかけてくれました。

私自身もいったん会社を休んで海外へ行くことに対して、楽しみな気持ちより恐れのほうが大きくて

休職するということは、同じ会社に戻ってこれるということ。しかし会社の中にも、さまざまな部署があります。当時は望んでいたクリエイティブ系の部署で働いていましたが、営業もあれば、マーケティング、総務など、どこに戻れるかは当然ながらわかりません。

広告クリエイティブの仕事を、もうできなくなっちゃうかもしれない。

それでも私は、そのとき圧倒的に足りないと感じていた「デザイン」の知見を高めるために、留学することを決めました。

広告会社に入社してから、私は制作会社のプロのデザイナーさんに対して「ディレクション」することが多くありました。

私はついこの間まで大学生だった20代そこらの素人なのに、相手はこの道何十年のベテランさん。自分より10歳や20歳も年上の人に対して、クライアントの指示を加味した自分なりの修正意見を伝えるんです。

「ここの文字色は暗い印象なので、赤にしてください」とか。
「背景は、黒の方がカッコよく見えそうです」とか。

デザイナーさんが私の指示通りに仕上げたら、黒一面の背景に赤い文字の、まるで血みどろの地獄絵図みたいなデザインに仕上がってしまったこともありました。

今までまったくデザインの勉強なんかしてこなかったのに、偉そうに自分より何倍もプロのデザイナーさんに修正指示を出すことが、おこがましくて。

もっと自分が良いクリエイティブをつくるためには、いったんデザインのことを勉強して、きちんと理にかなったディレクションができるようにならなくちゃダメだ。

そう思って、私は北京にあるアジアでもっとも大きな美術大学の修士課程を目指して、まずは中国語の勉強からスタートすることにしました。

なぜ中国かといえば、当時働いていた広告会社でも、そして広告ビジネス全体でも、中国は外せない取引相手国だったからです。「中国語もできるクリエイターになれば、きっと需要がある」という打算的な考えでした。

直前までアメリカの美大も検討し、NYの有名デザインスクール3校からのオファーもいただいたのですが、中国のほうに決めました。

アメリカの美大は学費だけで年間150~200万円飛んでいく上、学位なので卒業まで4年はかかります。NYの家賃は東京よりはるかに高いし、このチャレンジを借金までするギャンブルにしないほうがいいと思ったのも、大きな理由です。

いざ、北京へ。語学漬けの日々

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そうして、2012年6月。私はついに、中国の北京に飛び立ちました。

最初は語学学校へ通い、マンツーマンで朝からみっちり3時間、中国語を習いました。午後は復習をしたり、街中で習った中国語を使ってみたり、次の日の予習をしたり。

北京に来るまえ、相当な覚悟をしただけあり、私の焦りはすごいものでした。なんとしてでもこの留学を成功させて、将来に繋げなければいけない。焦りで夜中に目が覚め、勉強するなんて日もありました。

その生活を3ヶ月続けると、ある程度の日常会話ができるように。半年後には、中国語学習を2年続けた人に相当するレベルの、HSK5級を取得。大学院の合格に必要な、6級まではあと1歩です。

先生も「小森谷サンはとても努力家だ!」と褒めてくれて、その語学学校のWEBサイトや、北京市内で配布される日本人向けフリーペーパーにも掲載してもらいました(笑)


きっかけはデザイン会社のインターン

中国語がある程度話せるようになると、知り合いの紹介で、あるデザイン会社でのインターンをさせてもらえることになりました。自分がデザイン会社で働けるなんて、思わなくて。まさに念願の機会!

そのデザイン会社には、私と同じくらいの20代の若者がたくさん働いていて、みんな私にフォトショップやイラストレーターの使い方を教えてくれます。これらのソフトはデザイン制作では必須。大学院でも使うし、これは私にとって絶好のチャンスでした。

彼らのいうデザインの専門的な中国語がわからなくても、ソフトのアイコンを指差してお手本を見せてもらうだけで、「こうすればいいのね」とすぐに理解できるので助かります。全世界共通のソフトってすごい、と思った瞬間です(笑)

ホテルのロゴを作らせてもらったり、ポスターを作らせてもらったり。ときには中華料理の円卓を囲んだパーティもあって、和気あいあいと、大学のゼミのような雰囲気で楽しく参加させてもらいました。

しかし、このデザイン会社でのインターンを続けて、私はひとつ気がついたことがあったのです。私は1日中パソコンの前に座って、デザイン制作に没頭していました。するとふと湧き上がったのが、

「あれ・・なんか楽しくない・・・かも?」

という気持ちでした。この感情は、自分でもとても意外で。私は自分の好きなデザインを、好きなだけ作れていたんです。いつ帰ってもよかったし、おやつを食べても怒られないし、みんな優しい。

それなのに、なんだか楽しくない。そればかりか、SNSで時折流れてくる以前の仕事仲間の姿がキラキラして、心からうらやましく思えました。
それは、なぜ?

私は広告会社にいたころ、終電近くまで仕事をしていました。クライアントからの修正指示をまとめて、自分でコピーを書いたり、デザインは制作会社さんにお願いしたり。そんな生活に心底疲れ果てて、今すぐ海外に飛び立ちたい!勉強したい!と思っていたのに。
いざ望み通りの生活になったら、楽しくないって、、それ正気??

そして、なんで楽しくないんだろう、と考えてみました。

その理由は明確でした。

「私のやっていることで、誰も喜んでいない」

からでした。

中国語の勉強も、デザイン会社でのインターンも、基本的には”自分のために”やっていることでした。将来的には誰かの役に立つかもしれないけど、その時点では100%自分のために他なりません。インターンだって、私の制作物が世に出て誰かの役に立つわけではなく、ただ私のデザイン学習のために、ご好意で与えてもらった機会です。

いっぽう、日本の広告会社で働いていたときのことを考えてみると。

私は深夜まであくせく働いていたけど、その先には、誰かの役に立っている実感がありました。

私の書いた企画書に「助かった」と言ってくれた仕事仲間。私の書くキャッチコピーから売り上げが上がったと、喜んでくれるクライアント。
面倒くさいなぁと思ったコピー取りや、議事録を書くことでさえ、その向こうには喜んでくれる人の顔がありました。

私には、誰かが喜んでくれることがやりがいなんだ。
私って、けっこう仕事が好きだったんだ。

私は仕事をやめてみて、はじめてそれがわかったんです。誰かが喜んでくれるから、対価としてお金をもらえる。そんなシンプルなこの世の構造に気がついたのも、この時でした。


中国の広告会社で働くことにした

そうして私は、あれほど志していた大学院への進学をやめることに決めました。

まだ北京に来て半年ちょっとで「どんなに好きでも誰も喜ばないことで頑張る」ことが難しいと思ったのだから、この先2年間もそれを続けたらきっと後悔する。その確信が、私にはありました。

でも「中国語のわかるクリエイターになる」夢は捨てられず、北京で働いてみたいと思いました。そして運良く、北京にある日系広告会社のご縁をいただき、働かせてもらうことになったのです。

中国の市場規模は相当大きく、日本では手がけられなかったような大きな仕事にも携わる機会に恵まれました。

中国の若者の流行やデザインの趣向を研究し、彼らが好むであろう、そして自分が心から素敵だと思えるWEBサイトを妥協することなく仕上げられて。こんどは中国人の同僚や、クライアントにも喜んでもらえて。「ああ、やっぱり仕事って楽しい」と思えました。この方々は、きっと仕事をすることがなければ、出会うことはなかったでしょう。

私にとって、仕事は、私と人をつなぐ架け橋だったんです。

そして休日や仕事終わりは、デザインの勉強を自分でやってみることに。日本の広告賞にも、自分で作ったデザインとコピーで応募してみたりしました。一次審査まで通過したときには、よっしゃーー!と思ったものでした(笑)

それから2年間私は北京で暮らし、今では東京でフリーランスとして広告の仕事をしています。

この北京での経験でわかった「人が喜んでくれるから働く」ということは、今も活きています。

私に依頼をしてくれるクライアントの目的を達成するべく、とにかく全力を注ぐ。それはクライアントのためでもあり、私の喜びのためでもあるんだと。それがわかると仕事に対して、より納得感をもって頑張れます。

そして大切なことを気づくためには、いったん勇気をもってやめたり、一歩を踏み出すことも必要だと思いました。日本の仕事をやめなければ、気づけなかったことでした。

わたしはこれからも、誰かの喜ぶ顔を見るために、働いていこう。
そしてこの先、仕事で出会える人がいると思うと、心から楽しみで仕方ない気持ちです。


さあ、今日は火曜日。東京は台風が来ると言われていたけど、もうすぐ雨はやむのかな。朝から4000字書いて、もうヘトヘトです(笑)

読んでくださった方、ありがとうございました!
きょうもいい1日になりますように。

小森谷 友美
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