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「とりあえず書いてみる」と、想像のしなかった世界が待っている。

私は仕事でも、ほぼ毎日記事を書いているので、ある程度「どんな記事が読まれやすいのか」をわかっているつもりでした。

でもそんな自信を、みごとに打ち砕いてくれたのが、noteでした。

noteを書いた初期の私は、やっぱりなんだかんだいっても、誰かにとって「有益な」情報を書かなければ読まれないんだと思っていました。 

たとえば、「〜の方法」とか「〜のコツ」みたいな、ノウハウ系の記事。餃子の作り方の記事も、タイトルのつけ方の記事も、そんな考えのもと書きました。

でもnoteで書けば書くほど、必ずしも有益な情報ばかりが読まれるわけじゃないことがわかってきました。そればかりか、こんなの誰が喜ぶんだろうと思っていたような記事が、かえって多くの方に読んでもらえるという不思議現象にもたくさん遭遇(笑)

そのきっかけになったのが、この記事です。

これ、私の超個人的な育児での一コマを書いたもの。日記がわりの備忘録として書いただけなのに、なぜこんなに読んでもらえるの?と思いました。

でも他の方のnoteを読ませていただくうちに、私も読者の方の気持ちが少しずつわかってきたような気がしました。

有益な情報は、ネットを検索すれば、案外すぐにたどりつける。みんなが語る機会が多いぶん、書かれていることにオリジナリティが出にくいんです。

でもいっぽうで、私固有の体験や、私の感情は、私だけが知っていること。そこから何を考え、どうしたか、その話にはオリジナリティしかないんですよね。

もしそこに共感してくださる方がいたとしたら、「わかる、よく書いてくれた」と思ってもらえたり。「私にもこんなことがあったな」と、文章で追体験してもらえたり。

私固有の体験や感情を通して、読者の内面とつながることができる。それがnoteのエッセイの醍醐味なんだとわかりました。

文章を書くと、そこにいただけるコメントやメッセージがすごくありがたくて。読んでくれた方が理解してくれている気がして、とても嬉しい。まさに、文章を通してつながっている気がします。

私はいつもエッセイを書く前は、けっこうビクビクしています(笑)

「これ読んで、喜んでくれる人がいるのかな」
「あの時のあの感情、うまく言葉にできるかな」

そんな不安を感じつつ、とりあえず書いてみると、自分には想像もできなかったようなリアクションをいただけたりして。不思議なもので、書く前に不安を感じながら「どんな文章になるのかな」と自分も予測不能な記事のほうが読んでもらいやすいんです。

きのう書いたこの記事も、一昨日の電車で思い出したから書いただけなのに、まさかこんなに読んでもらえるなんて思ってもみませんでした。

本当に書いてみないとわからない。それがnoteの面白さで、私がハマる理由です。

もしこれを読んでくださっている方で、書きたいテーマが思い浮かぶ方がいたとしたら。「とりあえず書いてみる」のが、やっぱり最強におすすめです。お宝級のテーマがまだまだきっと自分のなかに、たくさん埋まっているはず。

私が平日毎朝書くようになったのも、Voicyパーソナリティのかおさんが提唱している「TY(=とりあえず、やってみる)」に背中を押してもらったことがきっかけです。まずは1段落だけでもいいので、いっしょに書いてみませんか。


今日は木曜日。東京はまたまた緊急事態宣言!
私はこれからワクチンを打ってきます。

はやく梅雨も宣言も終わりますように。それではまた明日。

小森谷 友美
noteで書ききれない話はTwitterで

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