「俺なんてお金もらっても書きたくないのに」夫に言われてハッとした。
「もっと時間があれば、たくさん書けるのにな〜」
ある日、夫とふたりでご飯を食べに出かけたとき。私の何気ないつぶやきに対して、夫から思いも寄らない返事が返ってきました。
「すごいね。俺なんてお金もらっても書きたくないのに。」
ええっ。書きたくてたまらない私にとっては、こんな考えの人もいるんだと、ちょっと驚きました。でも確かに大学時代のレポートとか、小学校の作文とかは、書きたくないと思ったこともあったなぁ。
そんな夫は、今年の母の日に「書く時間」をプレゼントしてくれました。私が文章を集中して書くあいだ、夫はふたりのヤンチャ盛りの息子たちと遊んでいてくれました。
夫は自分は書くことをしない人だけれど、私が書くことに対しては応援してくれています。先日も「私、もっと書きたいんだけどいいのかな・・」と謎の承認を求めたところ、「ぜんぜんいいじゃん。健全じゃん」と後押ししてくれました。確かに、ギャンブルにハマるよりは健全かな(笑)
夫の冒頭のひとことで、私はあらためて気づきました。それは「書きたいと思えるのって、才能かもしれない」ということです。
書くのってすごく面倒くさい。時間もかかるし、考えるから頭も使うし、疲れるし。お金をもらっても書きたくない人もいる中で、noteでは書くことを楽しむ人がたくさんいる。それはスゴイことなんだと思ったのです。
私は以前、ずっと書きたくてたまらなかったのに、書けなかった時期を過ごしたことがありました。その時は「書いても誰からも読まれないかもしれない」とか「知り合いに見られたら恥ずかしい」と、何もせずに過ごしていました。
でもその時の私や、今書きたいけど書けない人に伝えたいことがあるとすれば「書きたいと思うだけでスゴイ」。書きたいから書く、それでいいんだということです。あとのことは、書いてから考えればよし。まずは書くことだけ、一緒に楽しんでみようよと。
そんな気持ちをこめて、私のnoteのトップに表示されるスローガンを新しくしてみました。
書くを楽しく。
これは自分に向けたメッセージでもあるし、私の文章を読みに来てくれた人に声をかけたいメッセージでもあります。
この記事でも書いたように、noteで書く文章は「草野球」に似ています。
偏差値とか、仕事の評定とか、評価されることに私たちは慣れすぎているから、自分の文章まで人からのリアクションの数でついつい測ってしまいがち。でも書くことそのものに目を向けると、そこには自分に向き合い、伝えたいことを文章にのせるシンプルな楽しみがあります。
さあ、明日はどんなことを書こうかな?
久しぶりに中華レシピも書きたいし、子どものことも。明日も書きたいことがある毎日が私には幸せです。
書く人をちいさく応援すること、それはつまり自分を応援すること。
明日もまた見にきてくれたら嬉しいです。
小森谷 友美
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