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スリランカ民主社会主義共和国    Democratic Socialist Republic of Sri Lanka

1983年からスリランカにはたびたび仕事で滞在していました。

今回のスリランカの現状は、ロクでもない政治家がトップを取るとロクでもない結果しかないと言う事に尽きます。 

日本でも地方の偉い議員さんが、自分の地元に新幹線の駅を作るとか、空港を作るとか、橋を架けるとか、体育館を作るとかをやります。 

それを大統領がやってしまったのが、スリランカの正しい現状把握です。 

1960年からの簡単なスリランカの歴史は次の通り。 

1960年7月:シリマヴォ・バンダラナイケ首相就任(世界初の女性首相

1978年2月:ジャヤワルダナ大統領就任 
サンフランシスコ講和会議(1951年9月6日)に出席。その席上で、
日本への戦時賠償請求権放棄を宣言
「日本は自由であるべきだ」という趣旨の演説をした人物です。
仏教の教えに基づく平和主義は彼の信念よるものと考えられています。
彼の信念では、高まる民族間の対立を抑えることはできず、
「タミル・イーラム解放の虎」と言う武装勢力の拡大をゆるしてしまいました。 

1978年9月:国名をスリランカ民主社会主義共和国に改称 

1983年7月:「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」との内戦本格化
紛争は日々激化するばかりで、
LTTEに裏からインドのタミル人が支援をしてることが分かり、
インド政府による停戦の合意を得るために平和協定の交渉を開始。 
この頃、スリランカで仕事をしていました。  

1987年7月:スリランカ・インド平和協定成立
インド平和維持軍(IPKF)がスリランカへ進駐

1987年11月:憲法改正
シンハラ語及びタミル語を公用語と規定。州評議会制度を導入、
タミル語を公用語とするなど、状況を鎮静化する為、譲歩し、
停戦に向け、スリランカの北方、ジャフナにタミル人の自治権を認めた。
しかし、完全なる停戦合意には至らず、激しいテロ活動が続いていました。

1989年1月:プレマダーサ大統領就任
ジャヤワルダナ大統領下で10年以上に渡って首相を務めた人物で、
ジャヤワルダナ大統領の信望も厚い人物とみられていました。 
プレマダーサ大統領は、大きくなりすぎたインド平和維持軍の
プレゼンスを排除するために、LTTEとの交渉を再開し、休戦が発表された。

1990年3月:インド平和維持軍(IPKF)完全撤退
休戦になったため、インドが駐留する意味がなくなり、撤退しました。

1991年5月21日:ラジブ・ガンジー元インド首相、遊説中に爆弾テロで暗殺 
インド国内のタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)の自爆テロによる暗殺でした。

1993年5月1日:プレマダーサ大統領、暗殺
反政府勢力タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)の自爆テロにより暗殺でした。 

1993年5月:ウィジェートゥンガ暫定大統領就任
プレマダーサ大統領下で首相を務めた人物でした。
この時、ウィクラマシンハ氏が外務大臣から首相へ就任しました。

1994年11月:大統領選挙、クマーラトゥンガ女性大統領就任
スリランカ政府は、三度LTTEとの交渉を再開したが決裂し、
政府軍は大攻勢を展開して、1995年にLTTEの拠点ジャフナを奪取した。
攻勢は継続されたが、決定的な勝利を収めることはできず、
LTTEのテロにより治安情勢は悪化し、1998年には非常事態が宣言された。

1999年12月:大統領選挙、クマーラトゥンガ大統領再選
1999年12月18日にはクマーラトゥンガ大統領の暗殺未遂が起き、失明しました。 
暗殺事件をきっかけに、LTTEへの戦闘を強め、LTTEが少し劣勢になり、
中東和平などで仲介外交の実績を持っていたノルウェーが仲介に入りました。 

2001年7月24日:バンダラナイケ国際空港襲撃事件発生
LTTEの決死隊14人がコロンボ郊外にあるスリランカ空軍のカトゥナーヤカ空軍基地
と併設しているバンダラナイケ国際空港を襲撃し、
対戦車砲やロケット弾で攻撃し、戦闘機や攻撃ヘリコプターなど26機、
旅客機6機も攻撃した。

2001年9月11日:米国同時多発テロ事件 

2001年12月:ウィクラマシンハ首相就任
総選挙で野党統一国民党(UNP)が大勝しました。 
日本も9.11を受けて、停戦の仲介に乗り出しました。

2002年2月:LTTEとの停戦合意成立
停戦合意成立後も散発的なテロ活動が続きました。

2003年6月:「スリランカ復興開発に関する東京会議」を開催 

2004年3月:LTTEが内部分裂し、LTTE内部(ジャフナ方面と東部方面)にて戦闘開始 

2004年4月:マヒンダ・ラージャパクサ首相就任

2004年12月26日:スマトラ島沖大地震が発生
津波により沿岸部に死者3万人以上という大きな被害を受けました。
この頃から、首相の周りでは支援物資の横流しなど、汚職をしていたらしい。

2005年11月:マヒンダ・ラージャパクサ大統領就任
3選禁止条項により出馬できないクマーラトゥンガに代わり、
後継者として大統領選に出馬。
対立候補のラニル・ウィクラマシンハを僅差で破り、第6代大統領に就任。

2006年7月:LTTEとの戦闘が再開
この頃から、マヒンダ・ラージャパクサ大統領はインドの敵対勢力である、
中華人民共和国とパキスタンに援助を求める。

2007年7月:東部州におけるLTTE最後の拠点であったトッピガラを攻略
同州からLTTE勢力を一掃

2007年11月:TTE本拠地である北部キリノッチへの空爆
LTTEのナンバー2で政治部門トップであり、
和平交渉の窓口であったスッパヤ・パラム・タミルセルバンが死亡

2008年1月:政府はLTTEとの停戦合意を正式に破棄
中華人民共和国とパキスタンの大々的な援助をとりつけた
マヒンダ・ラージャパクサ政権はLTTEの完全殲滅を目指し、
各所で攻勢を掛けました。
この頃、後に中国に99年租借地となる大統領の出身地である
ハンバントタ港の建設が中国の資金で進められます。

2009年5月:LTTEの実効支配地域のほぼ全てが政府軍に制圧
LTTEは事実上壊滅状態に陥り、LTTE側もセルバラサ広報委員長が
事実上の敗北宣言である戦闘放棄声明を発表した。
5月18日には、LTTEの最高指導者ヴェルピライ・プラブハカラン議長の
遺体が発見され、政府はLTTEの完全制圧と内戦終結を宣言。

2009年11月:マッタラ・ラージャパクサ国際空港の建設開始
ここも大統領の出身地ですが、
交通網など国道一号線の保守点検もままならない田舎のど真ん中、
ハンバントタ県の人口密度は1平方キロ当たり240人、
人口は5万人程度、成田でさえ13万人いるのですから、
押して知るべし、自分の名前を付けるぐらいですから、
公私混同、汚職、賄賂の温床ですね。

2010年1月:ラージャパクサ大統領再選
LTTEの完全制圧と内戦終結を宣言を受け、ラージャパクサ大統領再選。

2010年4月:任期を短縮しての早期選挙を実施
総選挙で与党統一人民自由連合(UPFA)が圧勝、ラージャパクサ大統領再選

2010年10月:大統領の3選禁止などを撤廃する憲法修正案を可決
まるで、中国のプーさんの様ですね。
この頃、ハンバントタ港の一期工事が完了

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2011年12月:中国の支援を得て建設された劇場を
マヒンダ・ラージャパクサ劇場に改称

自分の名前を付けるのは独裁者のやりがちな失敗です。
その後も数々の汚職と腐敗に手を染めたと思われます。

2013年3月:マッタラ・ラージャパクサ国際空港開港

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2015年1月:マイトリーパーラ・シリセーナ大統領就任
ウィクラマシンハ首相任命

事前の予測では3選を目指すラージャパクサ陣営の優勢が
予想されておりましたが、多数派シンハラ人の中でも農村など
地方の有権者と、ラージャパクサ政権により内戦後の社会から
疎外されていた少数派のタミル人やイスラム教徒の票によるものだと
みられており、シリセーナ陣営が支持されたという以上に
反ラージャパクサという意味合いが強いものであったと思われます。

前政権で強まった大統領権限を見直す改革を行うとともに、
汚職問題や内戦末期の戦争犯罪の調査を進めましたが、
政権内は大統領派と首相派、ラージャパクサ派の対立が大きく、
混乱が続きました。 

具体的には、シリセーナとウィクラマシンハ、
UNPとSLFPの対立が顕著になり、
またSLFP内部もシリセーナ派とラージャパクサ派が対立するなど
政治的混乱が続き、汚職や戦争犯罪の調査も進まず、
経済が悪化したこともあり不満が高まり、
2018年2月の地方選挙ではラージャパクサが主導する
スリランカ人民戦線 (SLPP) に過半数を奪われる大敗を喫しました。

シリセーナは大統領就任後から過度の対中依存を修正する政策を
進めており、「全方位外交」の方針を採っていが、
中国にハンバントタ港を99年間貸与する政策に
否定的な閣僚は解任するといったことも行っていました。

2018年10月:大統領により突如、ウィクラマシンハ首相は解任
後任に前大統領マヒンダ・ラージャパクサが首相に任命

2018年12月:ウィクラマシンハ元首相は解任を違憲として
認めず法廷で争い、マヒンダ・ラージャパクサが首相辞任し、
ウィクラマシンハ首相再任

これを見ても分かるように、政権内は大統領派と首相派、
ラージャパクサ派の対立が大きく、まともな政権運営など
望むべくもありません。

2019年4月:連続爆破テロ事件発生

2019年5月:コロンボ港の東コンテナターミナル(ECT)を
日印と共同開発する覚書を交わす

2019年11月:大統領選挙、シリセーナが出馬を見送った為、
マヒンダの弟のゴーターバヤ・ラージャパクサ大統領就任

これを受けて、ウィクラマシンハ首相は退任
政権はラージャパクサ一族に集約されました。 

2020年8月:総選挙で与党スリランカ人民戦線(SLPP)が圧勝、
マヒンダ・ラージャパクサ首相再任

2021年2月:コロンボ港の東コンテナターミナル(ECT)を
日印と共同開発する覚書を破棄し、
中国企業の中国港湾工程などに移譲

裏には中国からの賄賂がある模様で、
中国港湾工程はスリランカの高速道路の建設
当面の運営なども担う予定であり、
完全にラージャパクサ一族による汚職と賄賂が
蔓延した政権となりました。

こんなことばかりしてる政権がまともな政治が出来る訳もなく、
ちなみにラージャパクサ一族が2008年から2018年の間に
中国から借り入れたのは72億ドルもあり、
これをスリランカは返済することができないでいました。
一つには、中国融資の条件が他の国や機関より厳しく、
なかには6.5%に設定されているものもあり、据え置き期間も短いです。
二つ目には、融資を受けて作られたインフラが利益を
生んでいないことがあります。
コロンボ首都圏とカトナヤケ空港を結ぶ高速道路は、
確かに役に立っていますが、距離も短く、利益性は低いです。
また、電力事情を一気に解消すると期待されていた、
当初、インドに依頼していたが手のひらを反して中国に依頼した
ノロッチョライ発電所(8億9000万ドル)は故障を繰り返している。
マッタラ・ラージャパクサ国際空港(1億8000万ドル)は
世界一ガラガラの空港と言われ、2019年10月の1か月間では、
出発したフライトは12便、乗客は3人となっている。
ハンバントタ港は2017年の一年間の寄港船数が251隻と
惨憺たるありさまだった。
これらの操業による利益を返済に充てることは全くできないどころか、
利益を上げているコロンボ港などの稼ぎで赤字を補てんしている
状態だったのです。
スリランカ側は中国に返済の延期などを求めたが、
中国側はこれを認めず、最終的にスリランカは破産した。

2022年3月:計画停電など経済的な混乱を契機に
数百人の市民が大統領の邸宅を包囲

2022年4月1日:大統領は治安当局に広範な権限を与える
非常事態宣言を発令、
これを受けて、4日には大統領と首相を除く、
全閣僚およびスリランカ中央銀行総裁が辞任
非常事態宣言も5日午前0時をもって撤回

2022年5月6日:労働組合などが大規模な
ストライキを各地で実施したため、再び非常事態宣言を発令

2022年5月:スリランカの破産を宣言した
ヒンダ・ラージャパクサ首相は辞職し、
ウィクラマシンハ首相就任

2022年7月9日:ラージャパクサの辞任を求める
デモ隊が大統領公邸の敷地内に侵入し占拠

これを受けて、7月12日夜、
ゴーターバヤ・ラージャパクサ大統領
コロンボの空港からUAE(アラブ首長国連邦)に
脱出しようとして失敗した。
空港職員たちは、ラジャパクサ大統領がVIP待合室に
入ろうとするのを、決死の覚悟で阻止。
危険を感じた大統領一行が、空港を離れた。

その後、13日未明にラジャパクサ大統領は、
軍用機で、夫人と護衛1人を同行させてモルディブに脱出。

2022年7月14日:ゴーターバヤ・ラージャパクサ大統領、
シンガポールから前代未聞の電子メールにて辞任 

ウィクラマシンハ首相が暫定大統領に就任

これが現在までのスリランカの政情の変遷です。

スリランカが破産したのは、これ以外にもコロナの影響や、自然農法にこだわり、生産が激減したなどの要因もあります。

まぁ、コロナ以外は全て、ラージャパクサ一族が政治にかかわった為に、発生したと言っても過言ではありません。

それまでのスリランカは、日本やインドなどとも、良好な関係がありましたが、公共事業については、日本やインドからは賄賂がもらえないので、中国に、発注を切り替え続けました。 よっぽど、賄賂が美味しかったに違いありません。 

ほんとうに、ロクでもない政治家が国を切り盛りすると、こうなると言う見本ですね。

これからのスリランカは清廉潔白な政治家に仕切ってもらいたいものです。



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