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児童虐待と宗教二世

現在、日本では旧統一教会の問題で、 
児童虐待とか宗教二世の問題とかが多数取り上げられています。 

確かに、日本の様な民主主義の国では、 
国による宗教の押し付け(国教)もありませんし、 
信仰の自由が認められています。 

しかし、世界全体から見ると日本のように
政教分離を憲法で定めている国の方が少数派です。
キリスト教を国教と定める国が13ヵ国、
イスラム教を国教と定める国が25ヵ国、
仏教を国教と定める国が3ヵ国あります。

イスラム教を国教と定めているイラクに居て、
親が乳飲み子に言葉を教えるにあたり、
「パパ」「ママ」より先に
アッラーアクバル(アラーは偉大なり)」と言わせることを
自慢するおじいちゃんを知っています。

イラクにおいては、宗教二世どころか
宗教何十世になる子供や親しかいません。

イラクやその他のイスラム国の高学歴と言われる人々、
イラクのエンジニアで、フランスのソルボンヌ大学を出た人や、
サウジアラビアのエンジニアで、イラクに出張で来ていた
パリ大学の大学院を出た人などと話していると、
彼らは、盛んにワールド(世界)と言う言葉を使います。
アジア人(日本人)の自分が居るためかもしれませんが、
やたら、世界はこうだからとか、世界の秩序はこうだからとか、
言いますが、よく聞いていると、
彼らの言う世界はイスラム教の世界をさしていて、
日本人が考えるような地球全体を含む世界ではありません。
狭い世界だけで、自分たちの都合の良い国々を引き合いに出すだけで、
じゃぁ、イラクの電気用品についての規格はどうなのか? など、
具体的な話をすると、何も答えられません。
中近東のイスラムのエンジニアはフランスの大学を出ている人が多く
やたらフランス自慢をします。
何を言いたいかと言うと、西側諸国の大学を出た人でも、
イスラムの呪縛からは逃れらていません。

マホメッドが布教を開始して以来、イスラムの国々は
イスラムを信じる親と、その子供しかいません。
児童虐待がまかり通る国々です。
男の子は割礼を受けるし、
イスラムの宗派によっては、女の子は学校にも行けません。
教育も受ける権利はありません。
自由な服装も出来ません。 宗教警察が厳しく取り締まります。
基本、女の子は一族の財産として扱われます。
ちょうど、戦国時代の日本の女の子の様に、政治の道具として
人生を送ります。
現在はインターネットの発展で、その様な国の女の子も
イスラム以外の国の実情を知ることが出来ます。
だからと言って、イスラムの教えを守らなくなる国が
出てくるわけではありません。

今回のサッカーワールドカップの様に、大衆の面前に
女性が腕や足を出して審判をするなどは特例中の特例です。

カタールの国教がイスラム教でなくなったわけでもなく、
厳然にイスラムの教えを守る勢力が大多数です。

この様に宗教を信じることがシアワセとは限りません。
逆に、「信じるか、信じないか。」の二択を迫る人々を
信用することも、信頼することも出来ないと思います。

イスラムの教えも、初期は砂漠において生きて行くための
実践の宗教でした。
それが、気が付くと信じるか信じないかの概念の宗教に変わってきました。
特に、国教と定めた国では、政治と権力と結びついて、
宗教警察などの武力を得てからは、派閥も数多く分離して、
混沌としてしまいました。

当時のイスラム教は仏教やキリスト教からすると、新興宗教です。

あまり、日本では知られていない、中近東の実情です。

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