こころと身体、私の中にある2つの心について

こんばんは。
梅雨が通り過ぎて夏になったかと思えば曇りが続いたりで
個人的に体調管理が大変な時期です。

今日は先日診察に行ってきてカウンセラーさんと話して印象深かった話しをば。

曰く私の中には2つの心があるようで。
こころ、精神の部分と身体、そのまま体の部分。それ自体は普通なんですが、それぞれが少し乖離してるみたいなのです。
そんな話題になったのは
最近夕方に気分が落ち込むという相談をしてからでした。
夕方やるとこが終わり、友達とネットでゲームするには時間が早く、旦那さんが家に帰ってくるまで時間もある。そんな空白の時間になるとふと頭がおかしくなって衝動的に何をするかわからなくなる瞬間がある。

そんなとき身体は自分の命を守らなきゃと
臨時の薬を飲んだり、頼れる人に連絡したりします。
でも心はその間虚無なんです。生きたいとも死にたいとも思わない。だだ衝動があるだけ。
2つがそれぞれの意思を持って動いている感覚。
今まで私が生きてこれたのは身体の感覚が優れていて、自己防衛にたけていたからかもしれないなとそのとき考えました。
他の人の声を聞いたり話したりすると戻ってこれるのですがその状態になってるとき旦那さんとかを思い返すこともできず一人ではなかなか戻ってこれません。

先生曰く、他人からの意味ではなく自分で生きる意味を持てないとそういう時が来てしまうかもしれないとのことでした。
今自分が生きてるのは旦那さんが寂しがるから、みんながいるから。
でもそれは他人からの意味であって、自分が生きていたいと精神的に思う瞬間がないのかもしれないと。もちろん身体は生きようとするので食べたり寝たりは健康的にできます。むしろそれを断つのが難しいぐらい執着している。
でも精神は生きる意味がない。だから空白の時間になるとふと自分の存在意義について考えてしまうそうなのです。

旦那さんといて安心する瞬間を味わってこれをもっと味わっていたいとは思いませんかと聞かれました。でも今味わえてるならそれでいいのではと思ってしまいます。
先生が生きていたいと強く思えるようになるといいねと言ってくれました。
そうなるといいなとも思います。
途中で先生の目から静かに涙が流れて泣かせてしまったなと思いました。
でも泣けない私の代わりに泣いてくれてるのかなとも考えました。
カウンセラーはそういう感情を出しちゃいけないとは聞きますし
確かにちょっと驚きましたが相手も人間でふと溢れ出ちゃうものがあると思います。
いいか悪いかじゃなくそんなこともあったなって記録したいとおもいます。

いつも優秀な身体にまかせっきりなのは困るので
少しずつ精神が育ったらいいなと思ってます。

まとまりませんが今日はこのあたりで。

いつか本出せたらいいなあ。サポートもらったら旦那さんとのんびり銭湯に行きたいな。