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通いたい珈琲屋さんのはなし(パート1)

ようやくなんとなくわかったこと

さいきん
なんとなく珈琲屋さん、喫茶店にいくことが
あまりモチベーションが上がらなかった。


行きたいお店があんまり近くになかったり
少し足を延ばしてそのために行っても
なにをしたらいいんだろうかという疑問もあったり
インスタのために行くのって
なんか違うんじゃないかなーって思ったり
あと、
将来自分のやりたい事と重ねると
珈琲を勉強するのは大切なことなんだけど
行けば行くだけ、いまの自分と遠すぎて寂しい気持ちになったり。。


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美味しい珈琲をのんでホッとした気持ちになりたいのか
カフェの時間でなにをしたいのかって事が見えなくて
いざ行っても居合わせた空間の雑音でリラックスできなくて悲しい気持ち持ち帰ってきたり


他人やフォロワーさんのインスタみてもなんかグッとくるもんがなくて


「行ってみたいなー」

「おいしそうだなー」


で終わってしまって自分ってなんだろうって
謎のモチベーションダウンに苦しんだここ1年くらいなのかな

でもあることがきっかけで

結論はこうなんじゃないかなと
自分でのなかの答えがこちらの2点

・行く意味があるほどの「珈琲」なのか
・日常のなかでゆっくりする時間になっているのか


今回はそのひとつ目の話

「珈琲」「珈琲」「珈琲」

そう!珈琲のはなし

カフェや喫茶店ではないというのが大切なポイント!


つまりは「味」
いろんなスペシャルティーコーヒーを飲み続けていくと
新しいものに出会い、自分の好みと照らし合わせることで
「自分」と珈琲が向き合うことができて
その体験に付加価値が生まれる。

それがめちゃくちゃ面白い。楽しい。

生産者やロースターやストーリーがあるからドラマになるし映画をみるような気分になるときもある。大袈裟じゃなく感動することもある。

でも
より手の込んだ豆、高価な豆、希少価値の高い豆、いろいろあるけど


主導権は

「豆」

そんな気がする。



もちろんそれも素敵なんだけど

感覚的におもうのは
旅先で飲んだコーヒーの味は忘れても
いい思い出としてその旅行での珈琲体験の記憶は消えることはない。
ときどき美味しかったな〜って、写真と共に振り返ったりする。

よく行くお店でも同じことを思う
あ、やっぱりここの珈琲は自分が求めている味だ!って
その感覚が今の珈琲業界の根本的な部分だと僕は思ってます。
昨今は自家焙煎のショップも増え始めていて
より新しいことや物の表現が魅力になっている。

洋服屋さんで例えるならば
「流行りの服は君に似合ってるのかい?」
ということ
値段と価値は違う
高いものが良いものではない

そして↓この話が大好きで影響されてる、、

https://note.com/okb46/n/n5d2cb63e2a22



「より良いものはより良い価値ではない」
消費者やお客様に主導権はあるべき

でも、そんなことを言いながらも
新しい発見も楽しみだったりするから
感情を行き来しながら
いまの自分に「ぴったり」がぴったりハマることが幸せを感じるときでもある。

んー、複雑だけど、そんな気持ち。

でも僕が今回ほとばしるほど思ったのは
「もう1度あの珈琲をのみたい」という感覚

明日いっても明後日いっても
昨日と同じ珈琲を飲みたいと強く思う気持ち

ぼくにその答えを導いてくれたのが

ハリネズミ珈琲店

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そうです。
あの味です。

フレンチブランド。
お店の雰囲気も店主の及川さんももちろん大好きなんですが
珈琲だけみても、そういう感覚だよな〜
って思わせてくれた人であり味であるということ

いついっても変わらない味

ひとくち目からふたくち目までのスパンの短さ

もっというとカップを開く前に、もうひとくち飲みたくなる感じ

また通いたいお店。絶対いきます!


4月の移転オープンを楽しみに
スキマスイッチの全力少年聴きながら待ちわびるとする

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