見出し画像

教育事業に使命を抱いた2つの原体験

会社・事業・組織の5年後10年後を考えることが増えました。
ありがたい、超ありがたい。
一方で、今の自分の力不足を痛感し、説明ひとつとっても「なんでこんなに下手なんだ…!」と憤慨する日々です。胃ガイタイ。

その一方で、なぜ起業したのか、起業してから何を考えて事業を行ってきたのか、を思い返したり、お話することも増えました。
インタビューとかで答えてても自分で改めて書いたことなかったな、と気づいたので書いてみます。

「経営者」になるなんて思ってなかった

まずここから。お恥ずかしながら経営者思考ではなかったです。だからと言って言い訳するつもりもなく、ハグカムの事業に対しては本気で考え、悩み、取り組んできました。それでも冒頭に書いた通り日々反省して成長痛の毎日です。

そんな私が「教育事業をやりたい!」と思った原体験をご紹介します。

原体験①幼少期の家庭環境

生後数か月でアトピー性皮膚炎と診断されたそうです。当時は記憶がなかったですが、明確に覚えているのは小学校3年生ぐらい。

当時通っていた水泳のせいか、塩素の水で行くたびに顔や体の関節は真っ赤のアトピー肌。さらには、アレルギーマーチ(アレルギー症状が次々に発症すること)によって、円形脱毛症や花粉症も酷かったです。ノミ・ダニ・ハウスダスト何てもってのほか。しまいには、給食の牛乳にもアレルギー反応が出て当時は水筒にルイボスティーを持っていってました。

円形脱毛症っていわゆるハゲです。帽子をかぶらないとけっこう悲惨な姿でした。学校には仲良い友達はいたけれど、違うクラスの子や外では後ろ指刺されるし、通っていた水泳教室のスキー合宿では明らかにいじめっぽい無視もあったな。

小学生ながらに「生きてるのつらぁ…」ってなってました。

それを救ってくれたのが家族の存在でした。家族は温かかったし、食卓も幸せだった。色々病院に連れて行ってくれて、病院の帰り道にはご褒美にパフェやケーキを食べさせてくれたり。家には塩素を除去する浄水器やダニを退治する布団掃除機が導入されたり(当時は両方ともめちゃくちゃ高額商品)、カーペットだった家は全面フローリングに改装されたり、アトピーに効くといわれるあらゆるものは試してくれていました。

子供ながらに、「大事にされているなぁ。世の中にはもっと大変な子供たちはいるんだから、こんなんで生きるの辛いとか思っちゃだめだな」なんて考えていました。

そして、親からのコミュニケーションです。私は、両親祖父母が教師という家庭で育ちました。教師はとても博識です。そして子供に教えるのが基本的には大好き。
幼少期から、子どもは「これ何?これは何で?」と聞くことが増えると思いますが、それに対してちゃんと返答をしてくれていた記憶があります。
さらには、「どうして空や海が青いか知ってる?」「この花はなんでしょう?」「この実は食べられるんだよ!」などなど、会話がいつもクイズ大会のようでした。
さらには、裁縫が得意だった母親は私に色々な小物を作ってくれ、「無いものは作ればいいんだ!」と、創意工夫の力も身に付きました。

つまり、めちゃくちゃ好奇心を刺激してくれたわけです。
「できなかったことができた!」「知らないことが分かった!」というのは純粋に生きる力になりました。

この家庭環境における愛情と好奇心育成が、私のひとつめの原体験です。

原体験②サイバーエージェントでの人事経験

「無いものは作ればいいんだ!」のマインドをそのまま、就職活動をするときには「世の中にない価値あるサービスを創りたい!」の一心でサイバーエージェントに入社しました。
ありがたいことにたくさんのチャンスをいただき、一歩出るのがビビりな私でしたが、挑戦することの楽しさ、本気で取り組むことのカッコよさを体感しました。
また、マネジメントをするなかで、人を育てる・人生を考える、ということに非常にやりがいを感じるようになりました。ここで初めて「教育」というキーワードが頭にインプットされました。

紆余曲折を経て、人事本部に配属された際のミッションが新卒採用でした。
就職活動で多くの学生に会ううちに、同じような学歴の学生でも、流れに乗って就活をしている子と自分の意思を持って就活をしている子の違いがはっきりを分かってきました。
面接を行うので「なぜ?」を繰り返して聞いていくと彼らの原体験に行きつきます。すると、やはり幼少期にいい大人に出会っていたり、いい経験をしている。「教育」から「幼少期の教育」というキーワードへさらに絞り込まれていきました。

この原体験①と②が重なった時に、「子供向けの好奇心育成がしたい!」と強く思うようになりました。

ハグカムにかける想い

当時、教育系の会社に転職することも視野に入れていましたが、これまたチャンスやご縁をいただいて自分で起業する、という決断をしました。

「教育」に興味を持ったのはもやは血筋かもしれない。でも、学校の先生になったら、好奇心を育めるのは自分のクラスの生徒数×勤続年数に限られてしまう。一方で、オンラインだったらどうだろう?提供できる子どもの数は無限大だ。学校の先生を目指さなかったのは必然だったのかもしれない。
教員の家庭で育ち、現場教育の重要性は理解している。でも、インターネット業界で働いてきたからこそオンラインの可能性も見いだせる。

「子供向けのオンライン教育」は私にしかできない。

恥ずかしながらこんなことを使命として思ってしまったわけです。

そして、「子供向けの好奇心育成がしたい!」という想いがそのまま<子どもの「できた!」を育む。>というハグカムのビジョンにつながります。

社名はビジョンの後に考えました。「育む」を語源に、親が子供を抱きしめる愛情を表す「Hug」、「Come」には直訳すると「来る」が一般的ですが、「目的に向かう、到達する」という意味があり、この二つを掛け合わせた言葉です。

ハグカムは私の人生そのもの。
ハグカムを諦めたときには自分は教育事業には携わることはないだろうと心に決めました。

創業を決めたあの時も、今も1mmもブレていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?