希望の輪 #書き手を信じる
かつてこんなにも読み手にスポットが当たったことがあっただろうか。
文章の世界はいつも書き手が主役だった。
紙が生まれた時代からきっとそうだっただろう。読まれるためには、まず書かれて出版される(世に出される)という過程を経て人の目に晒されることが必要だったからだろうけれど、長い間ずっと読み手は『大勢の読む人』であった。
けれど、ネットの世界ができたことで、日記から純文学まで様々な文章が『大勢の書く人』から生み出されるようになり、出版というふるいにかけられることも少なくなった今、読む人(本当の意味で文章を読む力がある人)の価値は格段に上がった。
確実に以前より求められている。
そんな今、noteの街には多くの書き手から求められている3人の読み手が居て、昨日はそのお話を聞くことができた。
3人の読む力について語るのさえ烏滸がましいほど、温かい視点をお持ちの方々だ。
読むことは対話であるという言葉も、
送られてきた記事だけでなく何故これを送ってきたのかまで考えて読んでおられた姿勢も、
読むということは潜るということというお話も、
どれも書き手にはこの上ない希望であったはずだ。
読み手に分かってもらえた、分かち合えた、そう思えた時に書き手の次の文章が違ってくるという言葉にハッとし、その大きさにも気付けた。
私自身、数ヶ月前にこんな記事を書いていた。
この中で私は
人の文章を読むこと、そして自分の文章を書くこと。それは自分ないし人の無意識の海に浸かっている部分に何があるのかを繰り返し潜って探しているようなものです。一見相反することのように見えて、同じであります。対象が自分なのか、自分ではない誰かなのか、その違いだけであります。
と書いていたけれども、いまは『同じ』なのではなく、『書くと読むは輪になって繋がりぐるぐる優しく回っている』というイメージになっている。
書き手が読み手に伝わる喜びを教えられ、伝わるにはどうしたらいいかを模索するようになることも
読み手が書き手の文章を読むうちに『読めてなかった部分』まで読み、受け取り、読む力をつけることも
全て繋がり、輪になっている。
イベントの中で嶋津さんが、
『コロナ渦中の現状で今はみんな頑張って明るく居るけれど、もう少し長く続くと綻びが出てくる。そんな時に示せる希望をつくりたい』
(細かい文言まで拾えてなくて違ったらごめんなさい)
とおっしゃっていたけれど、
この読み手と書き手の輪もすでに一つの希望だなぁと感じている。
そんなたくさんの発見があった、心温まる一夜だった。
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登壇者の3人方、スタッフの皆様、参加者の皆様。
素敵なイベントをありがとうございます。重ねてお礼申し上げます。
*登壇者の皆様のnoteはこちらです。
仲 高宏様
池松 潤様
嶋津 亮太様
*嶋津さんによるイベント後記です。
*参加者の皆様のレポートは「#書き手を信じる」から
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