香水のように愛してる
他の言語になるとその詳細がガラッと変わる言葉の一つが『愛してる』だなと思った。
きっかけは、最近テラハに参加していた中国の女の子(日本名は栗子ちゃん)が
花さんに宛てた日本語の手紙。
手紙だけの抜粋
愛してるよを中々使わない上に限りなく恋愛に近い気持ちに使うことが多い日本から見ると、少し変わった愛してるの使い方だ。
でも、その愛してるから伝わってくる心の機微がありすぎて、溢れて、光っている。
恋人に言う愛してると、栗子ちゃんが花さんに言ったそれは全く違うけれど、美しすぎる愛してるだった。
そうだった、と思い出す。中国や韓国、他の国のみんなも家族にも友達にも、もちろん恋人にも愛してるを使っていた。自分のことだって愛していた。そしてそのニュアンスは、それぞれの国で少しずつ違っていた。でも、言葉はいつも愛してるだった。
私たちは言語という共通のツールを持ちながら何一つとして共通していないのかもしれない。
いや、国なんて関係ないのかもしれないなぁ。本当は一人一人に愛してるがあって、そこに色んな意味を含ませ、吸わせながら使っているのかもしれない。
息が止まるほど愛おしさに溢れる愛してるも、
歪みあった上にそれでもどうしようもなく愛してるも、
まだ数日しか一緒に居ないけれどもの愛してるも、
友達として大事すぎての愛してるも。
ダメな自分でも愛してるも。
黒々しい憎しみが底にあっても愛してるも。
もう一生会えなくても、今でも愛してるも。
これ以外も全て内包されてる愛してるもあるでしょう。色とりどりの。
そこで至高の香水の作り方を思い出した。
至高の香りを作る過程でほんの1〜2%、動物のし尿の匂いを入れるらしい。幸福と感じる香り、軽やかで木漏れ日に降り注がれたような香りだけでは作れない。重くてどろっと鼻腔にへばりつくような匂いや、ツーンと刺してくるようなし尿の匂いこそが至高の香りを支え一層長続きさせる。
目を背けたくなる汚さがあるからこそ引き立つの。
こんなのもう、愛そのものでしょう。
だからいいよ。
大切な人を
そして自分を
憎むように愛してよ。
意味もなく機嫌が悪くなった自分を責めない。いつだって機嫌よく居られるようにしなきゃなんて、自分に期待しない。自分のそこにあるものから目を逸らさない。いつだって底に沈むそれが顔を出す日も眠っている日も、全部あるんだって思う。そうやって自分に過度に期待せずに見られるようになるからこそ、誰かのそんなところも見れて、認めて、寄り添える。何もかも自分だけで自分の機嫌をとれなんて、あなたには言わない。愛しているからね。
はっきりと言葉にする愛してるの煌めきもあれば、言葉にしない、直接的じゃない愛してるの朧な美しさもある。どっちも眩しいよ。言葉にされてもされなくても、どちらだって最高級だった。
愛してる、我爱你、サランヘヨ、ジュテーム、I love you 。
月が綺麗ですね。
もしあなたとの共通言語が日本語じゃない他の言語でも私は愛してると言うだろうか。その意味が違っても、あなたに届ける言葉をどれにしようと思ったとき、愛してるを選択するんだろうか。なぜだかわからないけど、その答えはイエスだと確信している。違っても同じ。共通していないけど、独特でもない。
愛してるという言葉。
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