語られない側の方に
私たちは、好きとか愛している以上に熱情を表現する言葉を持たない。
先祖のまた先祖は、その言葉を思いつかなかったのだろうか。
それとも、敢えて作り出さなかったのだろうか。
人間の心持や、気持ち、感情、状態を表す表現はあまりにも少ないと常々思う。
でも、その永久に語られない場所に真実の宝があって、
こうやって筆を走らせ続けながらそれを探しているような気がするのである。
独特の深みを持つひとに時々出会う。そんな人は、永久に語られない何かを持つ人なのではないかと思う。
それはもしかしたら、どんなに無傷に見えていても何かに思い悩み死にたくなることがあるということかもしれない。
どんなに今のパートナーを愛していようが、夜が来るたびに走り飛んで会いに行きたい人がいるということかもしれない。
本当に信頼できる人がそばに居ないから、友達との笑顔の写真をSNSに上げ続けるということかもしれない。
嘘を吐くということは、その対象以外に守りたいものがあったということかもしれない。
話されたことより、書かれたことより、言葉にされなかったものの方が多いということ。
撮られたものより、撮られなかったものの方が多いということ。
そんなものをぎゅっと集めたらきっと今より人間が愛おしくてしかたなくなるかもしれない。
そんな語られない側を愛せる人間でいたいと思う。
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