僕が保育士になったわけ -あの時の母親のセリフ-
どうもやすしです。
noteで #この仕事を選んだわけ コンテストを開催していることを知り、せっかくだから書いてみようかなぁと思いました。
今はもう転職してみましたが、僕が保育士を目指した理由とこれから保育士を目指す方へちょっと先輩風を吹かせてみます。
そんな大したことは書けないかもなので、読んでやるよコノヤロー程度にお付き合いください。
▶︎僕が「先生になること」を意識したきっかけ
これは遡ること小学生時代。
僕は三兄弟の長男で、末には10歳離れた妹がいました。
その妹が可愛くて可愛くて。いつも抱っこしたり笑わせようと、必死になって面白いことをしようと頑張っていました。
さらには両親が共働きということもあり、母親の代わりに妹の面倒を見るなんてことも。
そんなこんなでさまざまな赤ちゃんのお世話の仕方を小学生の時覚えていって、ある日母親に言われたのが
「〇〇(本名)は△△(妹の名前)と遊ぶのが上手やし、幼稚園の先生になったらええんちゃう?」
でした。
当時の僕にとって衝撃的だったのでしょう。
今でもこのセリフを言われた瞬間の声色・時間帯・周りの状況はよく覚えています。
夜、風呂上がり。リビングではテレビが流れていて家族でなんとなくバラエティ番組を見ている時でした。
当時母親はなんとなく。本当になんとなく僕に言ったようで(というかそもそもあんまり覚えてなかった)、まさか本当に保育士になるとは思っていなかったと言っていました。
なんの言葉が子どもを大きく突き動かすか分からないものですね。
けれど言葉の力はそれだけ絶大で、なんとなく人に向かって言った言葉が大きな楔になりその人にずっと残るなんてのはよくある話で。
ただ、そのこの時セリフを言われた瞬間から保育士になろうと決意したわけではありません。
なぜなら僕は中学卒業後に「工業高校」に進学したからです。
▶︎ 「工業高校」から「保育」の道へ
あのセリフを言われてから中学生になり。
僕は機械いじりに絶賛ドハマり中でした。
正確には機械、というよりか「車」です。
イニシャルD・湾岸ミッドナイトが大好きだった僕は、AE86やフェアレディZなどなどかっこいい車に夢中で。
しかも僕の父親が車好きで車屋をしたいというのを聞かされていたこともあり、中学の頃は
「俺は工業高校に進学して、自動車整備士になる」
と本気で思っていました。
この頃、前述のあのセリフなど頭の中には一切残っておらず。
僕はそのまま工業高校へ進学しました。
そしてそこで機械のことからいろいろな物作りの知識を学び、さぁ就活!という時に転機が訪れます。
それが高校2年生の終わり頃にあった家庭科の授業。
「近くの幼稚園に見学に行こう!」というプログラムがありました。
ほんの1時間もない授業だったのですが、思い出してしまったんですね。
あの頃のセリフを。
「幼稚園の先生になったらええんちゃう?」
「そうや、俺先生になりたかったんや…」
それを思い出した僕は、何を思ったのか授業中先生に給料のことや仕事の内容について、高校生が思いつく限りの仕事に関する質問をしました。
そして全ての質問を終える頃には決意していました。
「先生になろう」と。
まさか約8年越しにあのセリフが自分の人生を大きく動かすなんて思ってもいませんでした。
そこからは父親に大学進学の相談をし、「短大なら許してやる、さらに指定校推薦で学費を免除」と指令を受け猛勉強。
指定校推薦枠を勝ち取るため、素行や授業を受ける態度も徹底的に見直しました。
幸いにも工業高校から保育の短大を志す学生なんて他にいるわけもなく、成績と評価さえ上げられれば勝ち取れるようなものでしたが。
最終的にはなんとか推薦枠をゲットし、短期大学進学のチケットをもぎ取ることが出来ました。
工場へ一週間インターンシップにも行っていたのに。
基礎製図検定も取ったのに。
フォークリフトの免許も取ったのに。
「そんなやつ初めてや」と担任の先生に言われたのは今でも覚えています。
こうして僕は晴れて、「先生への道」を正式に志すことになったのです。
今日はここまで
ひとまず今日はここまで。
次回の僕の番に、後編を書いていこうと思いますのでお楽しみに。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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