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絶好の機会

自分自身で囃し立てて自覚的だったその日は、かつて繋がりがあった人たちからのLINEによっても実感させられる。年に一度の絶好の連絡の機会だろうから、違和感のない話題の導入として「おめでとう」が送られてくる。誕生日は話を展開するのにこの上ないイベントだ。
しかし、LINEを必要以上に空想の中で飛び交わすのが得意ではなくて、できるものなら杯を交わしながら、箸で器にもらえた料理をつつきながら、くだらないことを長ったらしく語って、帰り際に別れるのが妙に寂しくなるぐらいがちょうどいいのだ。

一年前とは状況が変わってしまって、誘うのも躊躇するほどになり、連絡は急激に減った。ZOOMやらDiscordはハマらなかった。電話も苦手なせいで、言葉にしづらい居心地の悪さを抱えたままに話すのは荷が重かった。

何の目的もなく連絡ができるほど、文化にフィットして順応はできていなくて、相手の都合と顔色を窺いながら会話を進めることができない現状では、余計に言葉のやり取りには注意深くなるし、必要以上の発言は控えたい。

連絡が途絶えたのは前回会った時以来、またはちょうど一年前の誕生日以来など。話のタネが生まれるまで冷凍保存されていたトークルームに熱が戻る。

「ありがとう、元気にしてる?最近調子はどうなの?」

もはや定型分にも見えるが、安否確認でもある。互いに何をしているかを聞いたりしなかったし、インスタのストーリーで見せびらかすような性分でもない。当人に聞くしかない。

どうも元気らしい。

そもそも、誕生日の人間にLINEが送れるほどの余裕があれば十分健やかだとわかるかもしれないが、そこをわざわざ確認する回りくどさがコミュニケーションの特徴でもある。

安否確認を済ませて、こちらも定型分かつ常套句になりつつある「近いうちにまた会おうね」と約束っぽいものを交わす。その場で日程まで決めるには気分が向かない。「いつにする?」と再度きたら検討するだろう。今の時期は休ませてほしくもあって、連絡に一個一個返事を考える時間と割り切った。

話をすり替えながら、相手側に主導権を委ねて、返信は1日おきに近づく。秒で返信するのはとてもじゃないが体がついていかない。

溜め込んだ数人の通知を見て、またあとで返事を考えると通知欄を眺めるのをやめる。気づいたら日付が変わっていて、返事をするには失礼にあたりそう、とそこは常識に準じて返事を次の日に持ち越す。

きっかけの流れはとうに去り、なんでもないやり取りに落ち着こうとしている。

いつからこんな苦手意識を改善しようと思わなくなってしまったんだろうか。
克服してみたいとはたまに思うんですけどね。LINEで教えてくれると助かります。

自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。