生活の拡大とミニマル

生活の質を向上させるにはミニマリストを最終的なゴールに設定しがちで、断捨離をここぞとばかりに展開したり、徹底的に必要かどうかを事細かに判断する、職人のような厳しい目を向けている人を思い浮かべがちな気がする。
けれど、そういうありがちな最終地点に到達した自分がいまいち想像出来なくて、関心が向いたものはとりあえず自分のものにしてみないとわからないだろ!と思っているから、生活消耗品が減って、生活にリズムが生まれたとしても、ミニマルに落ち着くことはないんじゃないかと思うようになってきた。

本は知識の宝庫だとしても、今は電子書籍に集約すれば良いとスマートな人はインスタで投稿しているが、古本屋で1時間かけて店の隅から隅までを眺める経験をしたことがあるのだろうか。ふと見つけてしまった古本屋に気軽に入ってしまって時間が経っていたことはないのだろうか。

電子書籍に身を任せてしまった暁には、受動的な本の出会いがなくなって、未開拓分野をこじ開ける何かと出会う機会を何度も損失して、それでもなんてこともない顔をするしかないんだ。未開拓の地をあえて歩くのは本に限らないが、「生活に満足して保守的になる」ことを恐れている。多かれ少なかれ、無駄っぽい消費を重ねなければ、現在よりも知識が広がっていかないような気がしてならない。

欲深い人間に生まれてしまったことに後悔はつきものだが、打席に立っておきながら見逃して帰る以上に悔やまれることはない。
後悔を承知で積極性で出たとこ勝負で無理やりこじ開けてみて、結果やいかに!と両手を握り合わせて成功を祈っておく。だんだん選球眼が良くなって成功率が上がっていくものだから、生活を総動員して力量を見せつける。

生活力が低くても、生活の質の向上のために最小を見つけるのはどうやら性に合わないらしい。拡大していくついでにボロボロとこぼれていくうちに、中心には強力で簡単には崩れないコアが形成される。


以上、積読が風景の一部となりかけている自室からの戯言でした。

自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。