エヴァンゲリオン新劇場版三部作を観て
エヴァンゲリオン新劇場版三部作、序・破・Qを全て映画館で観てきた。
新作のために過去シリーズを再上映してくれて、再予習組に優しいキャンペーンだった。
第二作目の破まで観て、あとはQだけだ!と、コンプリートを目指して映画館に通って、あとちょっとのところまで来て喜んでいた矢先に、Amazon Prime Videoでの配信が決定した。
即日見放題になったそうで、なんとも言えない悔しさを味わったが、この迫力はスマホ画面やテレビでは味わえないし、わざわざ足を運ぶことで得られる達成感もあるし、ここは屈せずに映画館に行くことにした。
敵という枠組みに当てはまる使徒を殲滅するのがメインに据えられていた序・破と大きく流れが変わり、人対人と、壮大すぎる目標「人類補完計画」の間に揺れ動く主人公の碇シンジ。
エヴァに乗れ、エヴァには乗らないで。
戦え、戦わないで。
主義主張の食い違い、信じていい人もわからない、何を目標にして求められて今ここにいるかもわからない。
前二作とは一風変わっていて、戦闘シーンはあるものの、どちらかというと人が作り出していくドラマに焦点が当たっているような気がする。
使命、命令、感動、破壊、再生、修復。
世界観については、どこまで自分がこの作品の深さを理解できているかの自信がない。神というワードが出てくる時点で、理解の難易度が上がって複雑さが増す。
エヴァンゲリオンってどういう作品なんだろうか?
その答えは人によって尺度も受け取り方も違うだろうし、まだ完結していないから推定の範疇から確定事項に移りづらい。
神がかった力、人の手には収められないと言われている力をなんとしても手に入れたくなる。と言えばそれでもいいのかもしれないが、それ以上に世界をこの手に収めたいとか、絶対の地位を無理矢理にでも欲しがってしまったことなどから始められてしまった物語なのかもしれない。
深掘りしたら面白い作品だからこそ、今でも熱のあるファンがいるというのも納得できる。
音響、画面から伝わる情報量と繊細さは確かに映画館ほどの大きいスクリーンじゃないと伝わらないんだろうなとも思った。
迷いながらもお金を払って映画館に行った甲斐があった。
劇場版鬼滅の刃が歴史的大ヒットで興行収入ランキングが変わる!と騒がれている中で、来年の1月公開の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」はどれだけの記録を打ち立てるのかも、個人的には楽しみにしている。
人の本質とは何か? 人は何のために生きるのか? エヴァのテーマは、いつの時代にも通じる普遍的な核を持っている。(公式サイトより)
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。