ノスタルジアという薬
12/4にはドルビーシネマ版のAKIRAを、12/8にはエヴァンゲリオン新劇場版:序4D版を映画館で目の当たりにしてきた。
20世紀の終わりに世間を震撼させた、日本の超大作が、2020年にどちらも鑑賞できる日が来るなど、微塵も想像できなかったことだ。
Dolby CinemaTM(ドルビーシネマ)は映像と音響のパワフルな技術に、卓越したシアターデザインが組み合わせられることにより、映画館を最高に魅力的なシネマ体験をお届けする空間へと変えます。
最先端の光学・映像処理技術を採用したドルビービジョン プロジェクションシステムによって、他の映像技術を凌駕し、広色域で鮮明な色彩と幅広いコントラストを表現するハイダイナミックレンジ(HDR)映像を実現します。
ドルビーシネマ版を初めて体験した。
スクリーンと客席が普段の映画館以上に閉鎖的な空間に感じて、ドーム状の部屋に一人入れられたような錯覚に陥り、どこからも音が反響して聞こえてくる。
AKIRAといえば壮大な演出と爆発音が至る所に散りばめられている。AKIRAは初見ではなく、何度も観たことがあるし、予習と称して二日前にNetflixでしっかりと一周していた。
エビングハウスの忘却曲線を高校生の時に嫌というほど見せられ、繰り返し学習によって知識が定着すると一方的に話された。
当時は不快感しかなかったが、予習を事前に済ませたAKIRAに関しては、流れも次に起こることも頭に入っていた。
数年かかって、ようやく高校当時の思い出を咀嚼して飲み込むことができた。
とはいえ、新鮮味はないんだろうなと、優勝チームと順位が確定したプロ野球の消化試合のような気持ちで、鑑賞に臨んでいた。
初見と二度目の鑑賞の大きな差は、物語の大筋を追わなきゃいけないんだ、という焦りがあるかどうかだと私は思っている。
予習の成果もあり、細かな演出や、コマの端に目を向けられたり、筋とは逸れているような小ネタをしっかり拾えた。ありがとう、山形。
ドルビーシネマのでかすぎる音量に圧倒されながら、2020年のアニメーションにも並ぶほどの映像の綺麗さをこれでもか!!!!とぶつけられた。
2時間弱の映画の余韻により、一日中頭がぼーっとしていた。帰り道、食事をどこかで食べてくるのも忘れるほどに。
時間に空きを見つけては、映画館の上映スケジュールを眺めるのが日課となっている。
その際に偶然見かけたのがエヴァンゲリオン序だった。
2020年1月23日に、「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」の公開が決定し、「映画版のエヴァンゲリオンがついに完結する!」と各所で期待が高まっている。
その完結作?の公開に先駆けて、劇場版エヴァンゲリオンの三部作が再び映画館で体感できる、という流れのようだ。
上映スケジュールを眺める習慣をつけて良かったなと喜びつつ、その場で、劇場版第一作目となる「序」を予約。席埋まってなさすぎ。自分を含めて三人だった。
Amazon Primeで配信されていた頃に三部作は鑑賞済みで、こちらも流れは大体覚えている。
それでも、アニメーション業界を代表する作品は是非とも映画館の空間で迫力も含めて味わっておきたかった。
主人公の碇シンジが父の計画に無理やり参加させられ、人類の敵と促されるがままに、使徒の殲滅を命じられる。
運命とまとめて片を付けるのはあまりにも残酷で、期待され、褒められることなく、ひと段落したと思えばすぐに次の試練が襲いかかる。
人間の感情の強弱と命令と守りたいものが見え隠れするシーン、使徒とエヴァンゲリオンの戦闘シーン、付随する音響をこの身一つで浴びてきた。
不安定にならざるを得ないシンジに心を傾け、共感に近いものが自分の中に芽生えた。
劇場
内容に新しさはなくても、わざわざ映画館に足を運んで対価を支払うことによって、得られるものはある。その手間すらも愛らしく思えてくる。
旧作も最新の技術や場所を限定した特別感によって、色濃く鮮明に印象に残せる。語り継がれる名作は時代が変化しても廃れることを知らない。
時代に追いつかなくなって、疎外感を味わうことがあろうと、かたや別の世界では確かな居場所を確保し、消滅することはない「ノスタルジア」に、心酔して脱出口を見失った。
エヴァンゲリオン三部作をこの際コンプリートしてやろう。
温故知新。
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。