見出し画像

『弱さを知っている人が強い人』の再考察。

これまで何度も、本やブログやその他でこのタイトルの言葉を目にしてきた。

確かにそうだ!と、分かったつもりでいたけど、この言葉の意味について、改めて考えてみた。


きっと、誰もが心のキャパシティーというものがあり、それの容量なり溜めておける期間なりはそれぞれなんだろう。

生きていれば当然、自分の嫌なところとか、不甲斐ないところとか、自己否定したくなる部分とか…少なからずあると思う。

それから、人間だから失敗もする。

「さっきあんなこと言わなければよかった」と後悔することもある。

もっと大きなことで言えば、例えば「絶対歌手になります」と言って上京したのに結局諦めなければならなくなった時、歌手になるために努力した期間ですら、
“間違いだった”
“こんなはずじゃなかったのに”
と、数年以上の長い時間について重い後悔を抱えることもあるかもしれない。


そこで、自分の弱さ−弱さというより、否定や後悔もある等身大の自分−を知り、認め、受け止め、それを強がらずに表現できる人は、また次の一歩を踏み出していけるし、周りの人もついてくる。

そしてそれが、強みになっていく、ということだと思う。


これまでの私の経験上、年上の方、上司、いわゆる偉い方でも、自分をさらけ出してくれる人には、心を開ける感覚があった。

また、等身大の姿を見せてくれるリーダーにはついていこうと自然と思った。

そして私自身、身をもって学んだこともあった。

まったく想定外の分野でチームのリーダーを任されたことがあった。期待してもらっていたし、それに応えなければと、今思えば最初からガチガチに力んで、それこそ弱さなんて一切見せず、指示を飛ばしまくっていた。

…ご想像の通り、チームはこれっぽっちもうまくいかなかった。

そして、初めてチームのメンバーにごめんなさいと言えた時、安心したと笑ってくれたメンバーがいた。



申し訳なかったね

やるって言ってたのに間に合わなくてごめんね

考え直した結果、急に方針が変わることになって迷惑をかけるね

昨日は感情的になってしまって反省してるよ


そんな一言がさらっと言える人って、強くてカッコいい。

強がることが強いのではなく。

いろんな自分を知り、そんな自分と相手の双方に優しくなることができれば、それがしなやかな強さとなっていくに違いない。



未来を担う子どもたちの健やかな成長を願って…。大切に使わせていただくことを約束します!