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プリズム劇場#024「麦茶で乾杯する人」

こちらはラジオドラマ番組『小島ちひりのプリズム劇場』の作品を文章に起こしたものです。
是非、音声でもお楽しみください。
【standfm】
https://stand.fm/episodes/66c5ed973ea022197b958626
【YouTube】
https://youtu.be/iV7eHel6cCI
【その他媒体】
https://lit.link/prismgekijo


「光ちゃん、お熱が出てまして……」
「わかりました。すぐ行きますので」
 電話を切ると、自然と溜息が出た。誰が悪いわけじゃない。それはわかっているが、それでも迷惑をかけていることには変わりない。
「あの、金田主任」
 私が恐る恐る声を掛けると、主任は顔を上げた。
「なんですか? またお子さんが発熱ですか?」
「はい。申し訳ありません」
「はぁ。いくらパートと言っても、そんな頻繁に早退されたら困るんですよね」
「申し訳ありません」
 私は深々と頭を下げた。金田主任はまた大きく溜息を吐き
「さっさと行ってください。いても邪魔ですから」
 私は荷物をまとめる。
 コールセンター内ではコール音がしても、隣同士でしゃべっていてなかなか電話に出ない。
 私がハラハラしていると、前の電話が終わったばかりの芽衣ちゃんが電話に出た。チラリとこちらを見ると、笑顔でOKマークをこちらに向けた。
 私はホッとして、静かに職場を出た。

「すみません。川田です」
「あ、川田さん。お仕事中にすみません」
「いえ、こちらこそいつもいつも申し訳ありません」
「いえ、こちらはいいんですよ。色んなお子さんがいらっしゃいますから」
 酒井先生はそう言うと、一旦奥の教室へ行き、熱でホッカホカになっている光を抱っこして来た。
「お大事になさってくださいね」
 酒井先生に見送られながら保育園を出た。
 家に着くと、汗だくの光の体を拭き、着替えさせた。スマホを取り出し、泰明に『光発熱。尊(たける)のお迎えいける?』と送る。すると、すぐに返事が来た。そこには『もっと早く言ってくれーい。何とかする』と書いてあった。

「ただいまー!」
 尊が有り余る生命力を漲らせながらリビングに飛び込んで来る。
「こら、尊。光はお熱で寝てるから、静かにしてあげて」
「光、またお熱なの?」
「そうよ」
「可哀想」
 そういうと尊は寝室へ忍び足で入って行った。そっと覗いてみると、尊は光の頭を優しく撫でていた。本当は風邪が移ると困るのだが、尊の気持ちを否定したくなかったからそっとしておいた。
「遅くなってごめんな」
 泰明はそう言うと、買い物袋をテーブルに置いた。
「とりあえず、買い物リストに入っていたものは全部買ってきたつもりだけど」
 袋を見ると、食器用洗剤、柔軟剤、卵、キャベツが入っていた。
「助かるー」
「夕飯はできそう? 俺何すればいい?」
「お風呂掃除してもらえると助かるけど、尊次第かな」
「OK。子供たちはこっちで見とくから、夕飯ぱぱっとよろしく」
「了解」
 本当は夕飯なんてぱぱっとできないのだけど、泰明は私の手が回らないところをいつもカバーしてくれるから助かる。収入は今の私の3倍はあるのだから、家のことは私が中心になるのは当然だ。

「お疲れ~」
 泰明は寝室を静かに占めると、キッチンへやってきた。
「洗い物は? もう終わる?」
「うん。何か飲む?」
「ビール行っちゃおうかな。梨乃は?」
「私はいっかな」
「昔はあんなに飲んでたのに」
「なんか、出産と授乳を2人もやったらお酒への欲望がなくなっちゃった」
「そっか」
 泰明はビールを携えながら、ノートパソコンをテーブルで広げた。
「仕事?」
「そ。今日中にやんなきゃいけないことがあってさ」
「ごめん。呼び出しちゃって」
「いいのいいの。会社じゃなきゃできないことじゃなかったから」
 泰明はビールをグビリと飲んで、画面を食い入るように見た。
「梨乃はさ、よかったの?」
「何が?」
「仕事。好きだったろ」
「だって、光がこんなんじゃどうしようもないじゃない」
「そうだけどさ、日本一のウェディングプランナーになるんだって言ってたじゃない」
「その気持ちは嘘じゃなかったけど、休みは不定期だし、現場仕事だし、子育てと両立は無理だよ」
「でも、子育てしながらやっている人だっているだろ?」
「そういう人たちはさ、実家が近いのよ」
「ああ……」
「子供も体が丈夫で、実家のサポートがあって、そういうラッキーな人たちにのみ許された働き方なのよ」
「おかしいよな」
「何が?」
「子供が病気がちだったり、実家が遠かったりする人たちの方がお金やサポートが必要なのにさ、お金を稼ぐ方法が限られるんだもんな」
「しょうがないよ。そういう社会なんだから」
 泰明は小さな溜息を一つ吐いた。
「梨乃、子供を産んだ事、後悔してる?」
「してない。それは本当」
「それ以外は?」
「仕事を続けたかったのも本当。仕事を続けられなくて、悔しくて悔しくて仕方がないのも本当」
「そっか。ごめん」
「何が?」
「俺は仕事続けてるからさ」
「だって、泰明の方が収入が上だったし、こうやってリモートもできるから、私達家族にはそれが最善ってなったんじゃない」
「そうだけどさ」
「二人で決めたことは、二人でやり切ろう」
「ああ。そうだな」
 泰明がビールの缶をこちらに掲げて来たので、私も麦茶の入ったコップを掲げ、二人で乾杯をした。

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