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キツネなシッポがパパになる②


これまで荒れ狂う元禄文化のような平成期の文化風習を余すことなく表現してきたこのシリーズですが、今回は令和にふさわしい優しく上品な仕上がりとなっております。時代の流れの変化とともに、主人公の心の変化も合わせてお楽しみください。

そう言いつつも抑えられない衝動が、僕を突き動かすのです。

↓原作の設定です。


とうとう奥さんの「予定日」がやってきた。昔でいうところのコウノトリが赤ちゃんを連れてくる日だ。でも一向にトリは現れないようだ。ボクは数日前に奥さんと義母さんからこう言われたのを思い出した。
「そろそろ、大竹先生(産院の主治医の先生)のトコでお泊りして出産の準備をすることになったから。仕事帰りに寄ってくれたら良いよ。困ったことがあったら連絡するからね。」

荷物の増えた部屋の片隅でひとり、ボクは風情を感じる余裕もないままに無為な時間を過ごしていた。嵐の前のような静けさだな、そう思っていたところで携帯の呼び出し音が鳴った。義母さんからだ。もうすぐ生まれそうだから、すぐに来いと。

ボクはテキトーに着替えを済ませると、愛車のチャリに飛び乗って夜更け前の国道を病院へと向かった。まだ夏が終わる前で、夜風がちょうど良い涼しげな風を運んでくれた。はやる気持ちを抑えつつ、ペダルをこぐ足にこめる力を抑えられず、気づけばボクは産院の前にいて、シャツが汗で湿っていた。息が上がっているのに気づいて、慌ててボクは大きく深呼吸をして姿勢を整えた。

産院のドアを開けると、奥の方に明かりが見えた。言われるままに先に進むと、部屋の前には「分娩室」のプレートがあった。中に入ろうと思ったが、得体のない緊張感と雰囲気に気圧けおされるような心地がした。まさに戦場のようだ、神聖な面持ちでボクは中へと進んでいった。

奥さんはベッドで上体を起こしたまま、休んでいるようだ。疲れているのか、少し息が上がっていて額に汗が浮かんでいる。何か声をかけようとしたその時、ボクに話しかける元気な声が聞こえた。
「広瀬さんですねェ、私実習生で内田って言います。今日はよろしくお願いします!」
後ろでベテランそうな看護師さん(注:名前は木戸さんで、正しくは助産師さんと言うらしい)が軽く会釈していた。どうやら奥さんの出産現場に立ち会って研修されるらしい。ボクと同じく新人気分のようだ、ハキハキとした声にも緊張感が滲んでいた。ボクも「ありがとうございます、よろしくお願いします。」とだけ返事をすると、部屋の皆さんにお辞儀をして挨拶を済ませた。

少しの間をおいて、木戸さんが奥さんに話しかけた。
「そろそろきそうですよ、ゆっくり息をして。私と一緒にやりましょうね。」
奥さんはうなづくと、木戸さんと一緒に息を大きく吸い、お腹に力を入れて赤ちゃんを送り出そうとしていた。
「力を抜いて、ゆっくりでー、ふーっ、ふーっ、ふーー。」
木戸さんの言葉に、いても立ってもいられなくなったのか、新人看護師さんが加わった。
「あの、私も一緒にやらせて下さい!ふーっ、ふーっ、ふーー。」
あなたも応援してくれるんですね、ありがとう。そんな眼差しで内田さんに目をやった。彼女は両手を曲げ胸の前で握りしめると、全身を上下に揺らして呼吸を表現していた。それはまるで鬼滅に出てくるの何とかの呼吸のようだった。背後に突風か水柱でも巻き起こらんばかりの、全身全霊の呼吸だった。

ボクはその迫力に気圧されそうになったが、分娩室にはそれ以上の熱気と気合が満ちていて、誰一人気にもしていないようだった。その目は奥さんと木戸さんに注がれ、励まさんとその一挙手一投足に注目が集まっていた。


(イラスト ふうちゃんさん)



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