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僕の未来予想図⑤

僕がここの工場こうばにたどり着いて数日、カネさん夫婦は僕の話を真剣に聞いてくれた。奥さんは声を上げて泣いてくれて、カネさんはすごく優しい笑顔で肩を叩いて励ましてくれた。
「もうナンも心配いらんよ。好きなだけココにいて良いから。修クン、ナンもないけど、ココでゆっくりしてきんさい。」
カネさんの言葉に、ようやく僕は救われたような気がした。気づけば僕も、声を上げて泣いていた。それは忘れていた涙だった。数年ぶりに、僕は声を上げて泣いた。悲しいから泣くのではない。安らぎとか温もりとか、そんな感覚に僕はようやく出会えたのだ。心の底から安心して、張り詰めた糸が切れて、ホッとして心が緩んだ。そしてコップにたたえた水が自然とこぼれるように、僕の涙は留まることもなくただただ泣いていた。子供の頃から必死に求めていた、ただここにいれば良い、ただそれだけの安心感を、僕はようやく手に入れたように思った。

工場こうばの仕事は全然慣れもしなかったが、カネさんの計らいで外国人の人たちともすぐに仲良くなれた。特にヤンさんは僕のことを弟のように可愛がり、良く面倒を見てくれた。カネさんは無口だったが、ヤンさんは国のことも家族のことも色々話してくれた。きっともう帰れないから、国に残してきた家族、歳の離れた弟に会いたいんだ、酔うと時々ヤンさんは寂しそうにそうつぶやいていた。

ココは日本のようで日本じゃない、ココはいないはずの人が住んでいるんだ。ヤンさんの言葉の意味が分かったのは、それから1年ほどした日のことだった。工場こうばの落下事故で、イラン人のアル君が足にひどいケガを負った。工場こうば長は見て見ぬふりで、カネさんに何とかしろ、とだけ言って立ち去ってしまった。カネさんは夜中にそっと抜け出して、アル君を知り合いの医者に診てもらったそうだ。カネさんはこういう時、いつもひどく寂しそうな顔をした。
「修クン、ボクら普通に生きてるだけナンだけどね。人様に迷惑かけとらんし、ただ生きていきたいだけナンだけどね…国ってのは税金払えって言う割には、ボクらみたいなようもワカらんヤツにはとことん冷たいんよ。」
驚いたような顔をした僕の顔を見て、カネさんはいつもの優しい笑顔で言った。
「大丈夫よ、何も心配イラんから。心配せんとここにいればイイんよ。ボクが何とかするから。」
そう言って、カネさんはいつもの寂しそうな顔を見せた。

時々夢にうなされることがあった。あの家にいた頃の記憶が戻ってきて、僕の心を締め付けるように何度も苦しめた。逃げ出したい記憶、思い出したくもない記憶。夢の最後はいつまでも手に残る、消えない人の腹の感触だった。逃げようにも逃げられない、足枷でもはめられたように動けない。足がひどく重いのだ。毎回汗をかき、現実世界でも動悸が胸を苦しめた。でもこの工場こうばにいるうちに僕は少しだけ強くなったのかもしれない。人のため、自分ができることをしたい、人の力になりたい。そう思うようになると、自分が強くなったようにも思う。いつしか僕は悪夢からも解放されていた。

ここでの日常が続けばいいのに、そう思う反面、1年も過ぎた頃に僕は首相のあの演説を聞いた。そして僕はここで過ごす人たちが味わっている、この社会の不条理を思い知ることになった。


(イラスト ふうちゃんさん)


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