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速水御舟展で見惚れましょ

当日12時過ぎに家を出ました。でも東京駅で目当ての特急に乗り遅れ、快速電車で向かう水戸の地は途方もなく遠かったです…。
東京駅と言えば駅弁。旅情を味わう重要アイテムです。昼間からお酒は気が引けるし、何より芸術家の方々に失礼です。お茶で十分。でも僕が乗った快速はまさかの座席横並び普通電車…駅弁食えんやん。
脳内で大沢誉志幸が静かに歌います。そして僕は途方に暮れる…古いですね。

水戸駅は遙か彼方に感じられます。特急じゃないとマジでキツい。車窓は田舎風で特に刺激もなく、茨城の風情をただひたすらに味わうという苦行(茨城県民の皆さん、ホントごめんなさい。素直な感想です。)の最中、事前の情報収集に努めました。作品以外の情報が少ない御舟さん、きっとマジメな方なんでしょうね。ゴシップ記事は一切ありません。Egon君にLINEしたい気分になりました。芸術家ってみんなキミみたいにアカン人じゃないみたいだよ…。

行こうと思ったきっかけは世一ちゃん(本人からのご指示により、ちゃんと呼ばせて頂きます)のこの記事。柘榴ざくろの画に見る余白の芸術性を語られていました。

画を観ながら感じるのは「激しい情熱」よりも「静謐な時間の流れ」です。
僅か16歳で画の才覚を認められた方で、題絵の「鍋島の皿に柘榴ざくろ」を描いたのは27歳です。ぜひ↓のリンクで高解像度版を見てください。きっと感動します。背景の余白に柘榴ざくろの紅が浮かんで見えてきます。

この絵を三回ほど見返して見惚みとれていたら、閉館時間になりました…他のはあんまり観てない。

それに期待してた「炎舞」がない…今回の展示にはありません。何故?
渋谷の山種美術館に行けば会えるようです。画集でもそのスゴさが伝わってきます。

でも柘榴ざくろとその周辺作品でも十分楽しめます。リンゴにブドウと白い陶器などの同時期の作品も精緻の限りをつくしていて、もう見事としか言いようがありません。表現するにふさわしい言葉がみつかりません。

これらを描いたのが当時20代の若者だった御舟先生、スゴい方です。
25歳の時に市電に轢かれて左足を失ったそうです。さらに関東大震災では画の多くが焼失しています。人生山あり谷ありです。

その素顔は真面目の一言。信念を貫いて真摯に画と向き合った故の作品なのでしょうね。尊敬します。

興味深いのは年表によると、柘榴ざくろの前年に描かれた人物画「京の舞妓」で酷評されていたこと、そして以降しばらく人物画から遠ざかっていることです。以降も年代により画風がガラッと変わって結構拍子抜けしたりもします。天才ならではの苦悩、精緻な技巧を捨ててでもより高みを目指そうとする御舟先生の情熱だったのでしょう。

御舟先生もまた、時代の荒波の中で破壊と創造の日々を過ごした方でした。

僕の好きなダーウィンさんの言葉が頭をよぎります。

 It is not the strongest of the species that   survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.

ダーウィンの言葉として「最も強い者が⽣き残るのではなく最も賢い者が⽣き延びるのでもない。 唯⼀⽣き残ることが出来るのは変化できる者である。」という言葉が紹介されることがあるが、ダーウィン自身の発言や『種の起源』に該当する言葉はなく、経営学者メギンソンの解釈が流布したものである。

wikipedia記事より「チャールズ・ダーウィン」

若くしてその才能を開花させた御舟先生ですが、満たされることなく画風を変えてまで時代の変化に適応しようとしたその姿勢は、ダーウィンの言葉にも重なって心に響きます。

晩年の御舟は「自分の作品に主張がなくなった」、「絵が早くできすぎて困る」などと友人たちに語り…御舟は自分の作品を冷静に分析できる画家であった。同時に、このままではいけないという葛藤を常に抱えていた。

山種美術館HPより

僅か40歳で亡くなってしまった御舟先生ですが、あと10年人生が残っていたらどんな境地に辿り着いたのか、いつか聞いてみたいですね。

他にも屏風画や牡丹ぼたんの画もあります。実物と画像が全くのベツモノなので、実物を観た方が良いです。


もし行かれる際にはぜひ特急(ひたち・ときわ)をご利用下さい。全席指定で車内販売もあります。帰りは快適でした。


題絵はwikipedeiaより「鍋島の皿に柘榴ざくろ」 1921年
スペースの都合でこの作品のキモでもある余白が切られています。
ぜひ完全版をご覧下さい。


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