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マラウイ湖に浮かぶ島で出会った口伝えの話にほっこりしてたら、トラブル発生!?

■ンコタコタという場所

ンコタコタ(Nkhotakota)はマラウイ湖に面し、かつて奴隷貿易のハブ港となっていた場所。多くの黒人奴隷が、この港から送り出されたという。

1863年に宣教師リビングストンと奴隷貿易商人ジュンベが、奴隷貿易廃止の取り決めをするまで、それは続いた。取り決めをしたという記念樹が、今も残る。

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そのような歴史が残される場所であっても、観光の整備が進んでいないマラウイでは、現地にガイドマップなんかがあるわけではない。とにかく歩きながら、村人に聞きながら、探さなければならない。

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■ガイドの青年から聞いた口伝えの歴史

きっとそんな外国人が、ちらほら現れるのだろう。しばらく聞き込みをしながら探索していると、一人の青年が「ガイドしましょうか」と、かなり流暢な英語で近づいてきた。村人たちは英語も使えるが、そこまで流暢ではない。聞くと、小さい頃、教会にいた外国人神父に色々教えてもらううちに、英語力が身についたのだという。

ガイドを名乗り出た青年からこの土地にまつわる歴史を聞いた。よどみなく自信を持って説明する様子に、思わず尋ねた。

「どこでそういう歴史覚えたの?学校で?」

「いや、村の年長者から教えてもらったんです」

きっと本みたいに正確には伝わらないのだろうけど、口伝えのその場面を想像するだけでなんだか心温まる。

口伝えってきっと、内容そのものを伝えることが全てではない。
伝える人の人格。
お互いの関係性。
伝えるタイミング。場所。雰囲気。

そういうのが土台にあって、内容はその上に乗っかって伝わっていくものなのだろう。

■口伝えの優先順位

映像として残すことが容易になった昨今、口から口へ伝えられる機会が失われていく方向にある。口伝えなんて不安定な方法は、優先順位としては下の方に位置するものなのかもしれない。

村に伝わる昔話を「映像記録として残そう」というようなプロジェクトもあると聞く。日本では、昔話だけでなく、戦争体験もそうだ。失われゆくものを、何とかして次の世代に伝えていくために必要な手段だというのは、理解できる。それが私たちにとって価値あるものならば、どんな形であれ残されているということはありがたいことだ。でも、そうすることによって反対に、「温かみ」のような記録として残されにくいものは確実に失われていく。

「土台」を失った内容は、どれほどの力を残しているのだろうか。きっとその「土台」を埋めてくれるのは、読み取る人の想像力なのだろう。

何を残して、何をあきらめるのか。
何に価値を置くのか。
「土台」をあきらめることを選ぶのならば、それを補うことができる想像力を。 

■沖合の小島、スング島で見つけたもう一つの伝承

ガイド役の青年に案内されるがまま歩いていくと、マラウイ湖の浜辺に着いた。沖の方に島が見えた。端から端までが視界に収まるほどの小さな島だった。何を隠そう、島や山が見えると、行ってみたくなる性分だ。

「向こう岸まで行ける?」

「漁師に頼めば、エンジンボート出してくれますよ。お金はかかるけど」

向こうの言い値から、多少値切って折り合いがついた。その日は、もう夕方に差し迫っていたため、翌日、改めて来ることにした。

翌朝、約束の時間に来ると、ちょうど家事の時間で、女性たちが食器洗いに来ていた。ジェンダー平等指数は日本より高いマラウイだが、村では、男女の役割は明確に分かれている。

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案内されたエンジンボートに乗り込んだ。船底を見ると、出発前にすでに浸水していた。

「大丈夫だ、これがあるから」

と、船頭から、水をかき出すためのプラスチックのボトルを渡された。

「みんなで水をかき出しながら行こう」

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有無を言わさぬ、陽気なテンションで言われたら、何だかアトラクションみたいで楽しい。

みんなで力を合わせて、水をかき出しながら20分ほど進むと、沖合にある小島に着いた。スング(Sungu)島という名前らしい。ただ、来てみたかったから来ただけで、特に目的はなかった。ふらっと一周して、島からの景色を眺められれば、それでいい。

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ちなみに船頭さん、ガイドの青年の他に、もう一人ガイドの友人だという男がちゃっかり便乗していた。地元民もわざわざ行くような場所ではないから、どさくさに紛れて行ってみたくなったのだろうか。

この何もない、のっぺりした小島を有効活用しようという話も出ているようだが、どう活用してよいのかわからないのだという。彼らが言う通り、島には何もなさそうだった。

他愛もない話をしながら島を散策していると、船頭が茂みに入って何かし始めた。薪集めだった。ここぞとばかりに、パンガナイフと呼ばれる大きめのなたをふるって、枝を切って、束ねているではないか。

一応、こちらが運賃を払ってここにきているのだが、その目的が果たせていれば、ついでに何をしようがマラウイでは関係ないのだ。いやむしろ、ここまで客を乗せてきたついでに薪集めをすれば、一石二鳥で、ガソリンの節約になる。環境にも家計にも良いことだから、こういうのは奨励すべきことなのかもしれない。

一方、ガイドの友人の男が、おもむろに植物の蔓を持ち上げた。気にして見ると、その蔓はそこら中に伸びていた。砂地を這いながら伸びていくタイプの植物だった。優に10mは超えていそうなものもある。かなり太く、丈夫そうだ。

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「これは縄跳びに使えるんだ」

そばにいたガイドの青年が、実際に蔓を回して見せてくれた。

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なるほど、確かに数人が中に入って跳べそうだ。乾燥させると軽くなり、より使いやすくなるそうだ。

私に見せてくれた後、便乗してきた彼はその蔓を力強く手繰り寄せ、根もとのところを切って、長いロープをまとめる時の要領で抱え持った。どうやら持って帰るつもりらしい。

「何に使うの?」

「うちに、小さい妹がいるから、縄跳び用にプレゼントしようと思う」

ちゃっかり便乗してきた彼に、思いがけずほっこりさせられてしまった。この国では、先人の知恵は、こんな感じで伝わっているのだ。

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■何もないようで色々あったスング島

スング島は結局、「何もない島」ではなかった。

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一回りした島を後にし、薪と縄跳び用の蔓がちゃっかり積まれたエンジンボートに乗り込んだ。妹思いの兄の優しさに、心満たされていた。

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みんながそろったところで、船頭がエンジンをかけた。しかし、ブルルッと音が鳴ってすぐ止まる、を繰り返している。
「草刈り機でもよくある、あれだろう。何回かやればそのうちかかる」
そう思って気長に待った。

だが、次第に船頭の表情が硬くなってきた。明らかに様子がおかしい。ガイドの青年やその友人も交代して、エンジンをかけようと試みている。彼らの焦りの表情が見て取れた。

「エンジンが故障したから、漕いで帰るしかない」

そう報告するやいなや、船頭はオールで漕ぎ始めた。私を含めたみんなで交代しながら、2本のオールを使って漕いだ。

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私たちがチャーターしたボートは、もはやエンジンボートではなかった。重りに成り下がったエンジンを乗せた、ただのボートだった。エンジンで20分の距離は、手漕ぎで1時間かかったが、無事対岸まで生還した。

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エンジンボートにも、オールを積んであった理由が身に染みて分かった。

これぞマラウイ。

◇ ◇ ◇

Nkhotakota was a major centre for the slave trade when visited by Dr Livingstone in 1863. From the lakeshore here, tens of thousands of slaves were shipped across the Lake.

A young guide told us about history of Nkhotakota and Sungu Island which is very near from Bond Mosque. He said these kinds of history were transmitted by mouth from old people, but not from books.

Although the information cannot be carried down precisely in this way of transmission, I rather like it. Because I can imagine the heart-warming scene that old people talk to young people about the history of their own village.

After landing on Sungu Island, another young man picked a plant with long-creeper and said “I will present this to my younger sister as a Jumping Rope.” The wisdom is transmitted in this way as well.

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