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つくること、その悦び | プログラミングの愉悦

初めて、つくるって楽しいな、と思えたのは、料理ができるようになったときだった。

大学一年のとき、アメリカから弟が帰ってきて、東京でふたり暮らしを始めた。受験を控え、勉強や部活で忙しい弟の生活や家事全般を、バイト免除の代わりに、現地に残った親に託された。

日課は、弟のお弁当と晩ごはんをつくること。右も左もわからなかったわたしは、とりあえず毎日、スーパーに通った。スマホでレシピを検索し、律儀に材料をメモ帳に書き写してから、買い物かごを手に取る。

ウスターソースとオイスターソースの違いを知らず、帰ってきた弟にドヤ顔で出したそれは、べたっと甘い回鍋肉だった。

おたまでぐるっとかき混ぜてから小皿によそい、何も見ずにお味噌汁をつくれたとわかった瞬間は、キッチンでひとりガッツポーズをした。

数ヶ月経ち、お肉がセールの毎週水曜日にスーパーに行き、1週間分の食材をまとめて買うと、安く済ませられることに気づいた。レシピをメモする代わりに、冷蔵庫の扉を開け、今日は何つくろっかなあ、と考える。

そのうち、レシピどおりにつくらなくても、玉ねぎを入れたら美味しくなりそう、とか、砂糖の代わりにはちみつを入れようとか、目分量でテキトーに醤油を入れてもだいだい美味しいとか、そういう、守破離でいうところの、破だか離だかどっちかはわからないけれど、とにかくそういう「自分流でテキトーなんだけど、簡単で、まあまあ安く、それなりに美味しい」料理ができるようになった。

ああ、これで世界中どこに住んでも和食が食べられる!と、大げさに言うと、生きる力、みたいなのがついた気がして、自信がわいてきたのを覚えている。

同時に、こう思った。

何かをつくるのって楽しいなあ、と。



料理の次に、つくるのって楽しいなあ、と思ったのは、プログラミングができるようになったときだった。

それまで経理を手伝っていた父の会社で、「ちょっとプログラミング覚えて、そっちも手伝ってくれない?」と、LINEだかSlackだかで声をかけられ、いいよーと答える。

HTMLとCSSのオンライン講座に通わせてもらうものの、<div>(HTMLの文法のひとつ)がなかなかわからず苦戦し、途中までは、教科書を読んで出された課題を右から左へやっていくような、バッターボックスに立って、飛んでくる球をただひたすら、打ち返すような日々だった。

そうするうち、ある日突然<div>を理解した。サイトを「サイト」としてしか認識できていなかったのが、たくさんの<div>と、文章と、画像と…といった、ひとつひとつの要素の組み合わせとして認識できるようになった。レゴブロックでつくったお城が、ひとつひとつのブロックで成り立っているのと同じことなんだと、まるで神の啓示を受けたモーセのように、突如「<div>の理解」が、上からざあざあと降ってきた。

解像度が上がる、とか、粒度が上がるって、きっとこういう感覚なんだろう。同じものを見ていたはずなのに、見える世界はまったく違って、これまで一体わたしは、何を見ていたんだろうという、不思議でならないという気持ち。

それ以前に独学で勉強したときは、この壁が超えられず挫折したので、「サイトが、レゴのように、たくさんのブロックが集まってできている」と理解するというのは、後から振り返れば、いちばん大きいプログラミング壁を乗り越えたときだった。

HTMLとCSSができるようになった後、Pythonを覚え、サーバーまわり(これぞプログラミングというような真っ黒い画面に、よくわからないアルファベットの呪文のようなものが並んでるやつ)に四苦八苦した後、シンプルな営業システムがひとりでつくれるようになった。文章を入力し、保存ボタンを押すとセーブされ、画面をリロードしてもちゃんと表示される。システムに必要な、最低限の(プログラム処理の)流れをつくれたとき、のどの奥の方から、むずむずとしたものが突き上げてきた。

それが、プログラミングの楽しさであり、つくることの悦びだった。



今、半分仕事、半分プライベート、みたいな感じで、ホームスクーリング×テクノロジー教育をテーマにしたプロジェクトを始めて、それからというもの、「なんでテクノロジーなんですか?」と、ちょこちょこ聞かれることがある。

きっかけはシンプルで、息子の「保育園行かない!」がひどくて、休んでいた時期に、プラレールで一緒に遊んでいたときのことだった。

駅の構内放送を流したいと言っていたので、ipadで「まもなく、1番線に、各駅停車…」というわたしの声を録音し、このボタンを押したら流れるよーとおしえる。

それでも十分そうだったんだけど、電車のスイッチを一回止めて、ipadのボタンを押して、また電車のスイッチを入れて…とやっている子どもをみるうち、ふと「あ、これ、山手線がきたら自動で山手線って識別して、山手線のアナウンス流すっていうのをプログラミングでやったら、もっと楽しくない⁉︎」とわくわくして。

そのとき、そんなふうにわくわくできたのは、きっとあのとき、プログラミングでつくるのって楽しいなあと、経験していたからだ。

大学のころ、文学部のなかでも特にマイナーな、ドイツ文学を専攻していて、良くも悪くも、俗世から一歩も二歩も離れているような、そんな空気が流れていた。ぜんぜん人のいない、古い校舎の階段を4階まで上がり、さらにそのいちばん端っこの、数人入ったらぎゅうぎゅうになる教室で講義を受けたあと、ふたたび校舎を出て、雑踏のなかへと足を踏み出すと、まるでこれまでの90分、エンデの「果てしない物語」のような別世界にいたようで、足もとがふわふわとした気持ちに襲われることがよくあった。

ときは安倍政権で、やっぱ経済!やっぱビジネス!みたいな雰囲気があった中、わたしの専攻においては政治批判、社会批判は当たり前で、静かに文学と芸術と哲学を愛している人にとっては、この社会はなんとも肌のあわない、水と油のようなものだった。

と、少なくとも当時のわたしはそんなふうに感じていて、経済・ビジネス一辺倒の社会にうんざりしつつ、でも卒業したらそのなかに入っていかないといけないことに、雨でびしょ濡れになった仔犬のようにぶるぶると震え、その一方で、教室のなかにいて、批判ばかりの空気感にも、息苦しさを感じていた。明るくて清潔で、塵ひとつ落ちてないけれど、右にも左にも、前にも後ろにも進めないような、真っ白い、四角い箱のなかにいるような気分だった。

手を動かしたい。

そのときのわたしがよく思っていたことで、いまから思えばそれは、「なにかをつくりたい」と同義だった。ないならつくればいい。この社会にうんざりしてるなら、居場所がないと感じるなら、なんでもいいから手を動かして、つくればいい。ごはんをつくるでもいいし、プログラミングを書くでもいいし、文章を書くでもいいし、インスタで投稿するでもいいし、推しのうちわをつくるでもいい。

ないなら、つくる。そうすれば、とりあえず楽しいし、ないものを指折り数え上げる息苦しさも減る。もしかしたら、つくったなにかで誰かが喜んだりするかもしれない。わたしはそのことを、たまたま、プログラミングを通じて知ることができた。

ないなら、つくればいい。

そう思えるようになってから、ずっとずっと、四角い箱いっぱいに、ぎりぎりまで引き延ばされて、限りなく薄く、平べったくなっているように感じていた身の回りの空気が、徐々に徐々に、その密度を取り戻し、パンが発酵するかのように、少しずつふっくらと膨らんできて、やがてわたしはゆっくりと、息を吸い込めるようになったのだった。


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