真夏に見たくなる映画『風立ちぬ』––美しさと“狂気”は紙一重
国民的アニメ、ジブリ。
ジブリと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、ラピュタや千と千尋、耳をすませばあたりかなあと思うのですが、そんななかで私が最も好きな映画が、『風立ちぬ』。
宮崎監督の最後の作品(たぶん)ともあって、色々と賛否両論なこの作品。切り口もたくさんあって、好きなくせに何が好きなのかよくわからなくて、私にとっては非常に語りにくい作品でもあります。
何回か見て思ったこと、それはこの映画は「美しい」ということ。
★★★
「美しい」という形容詞は、この映画の中で頻繁に出てきます。
それは、主に主人公次郎の口から語られる。
「美しい飛行機をつくりたい」、飛行機をつくるという「美しい夢」、そしてヒロイン菜穂子に対しての美しいという賛辞。
しかし映画を見た方はおわかりかと思いますが、これら全ての「美しいもの」は、破滅−より具体的に言えば死−へと向かいます。
菜穂子は結核で死に、次郎が美しさを追い求めてつくったはずの飛行機は、たくさんの人を帰らぬ人とし、「一機も戻って」来なかった。次郎は一人取り残され、美しい夢は消えた。
そう、「美しいもの」の結末はこの映画においては、決して美しいとは言えないものになっているのです。
★★★
『風立ちぬ』の結末はこのように一見残酷なものですが、私は「それでも」ではなくて、「だからこそ」この映画は美しいのだと思っています。
よくできた造花と本物の花があって、見た目はほぼ同じだとしても、私たちが本物の方の花の方が美しいと思ったり、惹かれたりするのはなぜでしょう?
それは、本物の花は死ぬことができるから。
不思議なものですが、美しさというのは死や終わりを含んでいるものなんじゃないでしょうか。(参考:街場の読書論)
「風立ちぬ」の主人公、次郎は「美しい飛行機をつくる」という「美しい夢」に、ある意味でとりつかれています。
次郎は飛行機の設計に没頭していると周りが見えなくなっているし、自分がつくった飛行機がどんな結果−戦争に加担するということ−をもたらすか、というところもそんなに考えていない描写がなされている。
私はそこに一種の“狂気”を感じるのですが、このような狂気めいたものは、多かれ少なかれ誰でも持っているのではないでしょうか。
これさえあれば、これさえできれば、これさえ得られれば、他はどうなってもいい−何かに没頭したことがある人は、というか没頭するというのは、そういうことなんだと思います。
没頭しないと、次郎みたいに美しい飛行機をつくることなんて、成し遂げられない。でもその狂気めいたものは、「他はどうなってもいい」というものを含んでいるので、とても危うい。
でも危ういからこそ、終わりや死、破滅を予感させるからこそ、美しい。
美しさと狂気は紙一重というか、コインの裏表の関係にあって、切っても切り離せないんじゃないでしょうか。
★★★
この映画に関してだと、ゼロ戦をつくったことへの是非や、菜穂子がかわいそう、次郎はひどい夫だ、等々、映画内で起こった出来事の善悪を問うことはいくらでも可能です。
でも個人的には、この映画はそういう善悪を超えているというか、別の次元にあるんじゃないかと思っています。
美しさは善悪の基準とは違うし、美しさ=善いという図式は危険じゃないか。
この映画に善悪の基準を差し込むとすれば、ここにあるんじゃないでしょうか。
実際の堀越二郎氏についてはわかりませんが、映画における次郎という人は、たとえ人生をやり直すことができたとしても、また同じようにしか生きられないんじゃないかと思います。
彼は美しい飛行機をつくる人として、選ばれてしまった。選ばれたゆえの才能と、狂気。
彼、つまり天才たちが成すことは、社会的な文脈において善にもなるし悪にもなり、良くも悪くも時代を動かしてしまう。
…とここまで書いて、やっぱりこの映画は宮崎駿監督自身を描いたのかなと思いました。
彼もまた天才であり、選ばれた人であり、アニメを作り続けた狂気めいたものをもち、そして間違いなく日本または世界のアニメを動かしてきたのだから。
美しさにとりつかれた次郎は、その狂気めいたものゆえに終わりを迎え、でもそれゆえに美しい。
この美しさと狂気の絡み合いに、私は残酷さと同時に美を見出してしまって、そんな映画と自分にぞっとしつつも、やっぱりこの映画が好きなのです。
★★★
話は少し変わりますが、初めてこの映画を見たときに唸ってしまったのは、この話で避けては通れない戦争の描写を一切省いていたこと。
この映画はやっぱり善悪や物事の是非とは一線を画したもの(他の宮崎監督の映画は、反戦描写も多い)なんだと思います。
同時に、映画において語られなかったからこそ、逆に戦争という事実の重みが増している。
何だろう、私たちは語られたものよりも、語られないものに耳をすましてしまうことって、あると思うんですよね。
「なぜ語られなかったのか」という問いに私はすごく惹きつけられてしまうのですが、あなたはどうでしょうか?
★★★
『風立ちぬ』といえば堀辰雄の作品ですが、映画のヒロインの名前は『菜穂子』という彼の別の作品から来ています。
私は『風立ちぬ』の小説よりも『菜穂子・楡の家』という菜穂子をめぐる一連の話の方が好きだったりします。映画における菜穂子と比べてみるのも面白いかもしれません。
ちなみにですが、『菜穂子・楡の家』を読んだあとむしょうに小説が書きたくなって、初めて完成させた小説がこちらです。(noteでは最終話以外更新済み)
★★★
風立ちぬ関連の本は、私が営んでいる本屋・books1016でも扱っています。
それでは、また。
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(画像:映画.comより)
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