春の居処
春はいったい、どこからやってくるんだろう。
5時を過ぎてオフィスを出ても、まだ空が明るいところから?
夕日のまなざしが、駅の構内案内図のふちを、色濃く染めるところから?
ダウンコートを2ヶ月ぶりに脱いで、チェスターコートになって、肩の荷が物理的に降りるところから?
玄関の扉を開けて、家のなかより外のほうがあたたかいと、気づいたところから?
春は、いろんなところからやってくる。
私がこのあいだ出会った春は、美術館でだった。
5時にちょうど仕事が終わったので、あわてて向かった三菱一号館美術館。月に一回だけの女子割ということで、前々からカレンダーに、予定を入れておいたのだ。
でも平日だからってなめていて、5時過ぎに着いたのにもかかわらず、ドアの前には長蛇の列。女子、女子、女子。こんなことなら割引狙わなきゃよかった...と思いつつも、ここまで来たなら、引き返せない。
オディロン・ルドン展。見るのは初めて。印象派時代の画家だけれど、印象派とは一線を画す。
本展示は植物がテーマらしく、あふれる花、花、花。
そんな黄色のあたたかい花の絵を見て、ああ、美術館からも春ってやってくるんだなあ。
でも、ただあたたかいだけじゃない。だって、展覧会入り口を入ってまず出会うのは、ルドンの描いた、白と黒の世界。
植物のなかに人間の頭があったり、植物の実が人間の頭になっていたり。ありていに言えば、けっこう「不気味」って感じる絵も多かった。
彼の、白黒の世界と、カラフルな世界のコントラストに、頭がくらくらする。カラフルな花と蝶の世界のなかに、ぞっとする何かを、感じる。
ああでも、そういう、コントラストって嫌いじゃない、というか、むしろ好きだ。
華やかなで優しいだけの花の世界は、甘ったるすぎる。
ルドンは、花と蝶のたわむれのなかに、実と人間の頭部のなかに、なにを見たんだろう。
華やかな春に潜む、モノクロの世界。
カラフルはモノクロを、モノクロはカラフルをはらんでいる。私たちの世界も、そしてそのなかの春も、きっとそう。
いっせいに花開く季節は、私を後押しすると同時に、「何かしなきゃ」と駆り立てる。
年度が変わり、新しい生活が始まる季節は、新鮮な気持ちになると同時に、変わるときは変わることへの不安を、変わらないときは「自分だけ変化していないな」という不安を、私に残していく。
春はカラフルな季節で、同時に、モノクロの感情をはらんでいる。
そんなことを、ルドンの絵を、この季節に見たからこそ思う。
絵も、どこで見るか、どんな季節に見るか、どんな気持ちのときに見るか、によって、見方が違うから。
どこで食べるか、どんな気温のときに食べるか、誰と食べるかで、ごはんの味が違うように。
そんなことを思い、美術館をあとにした。
それでは、また。
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